青年海外協力隊講座
 

 

 はじめに

 2000年1月6日〜3月24日、わたしは、国際協力事業団・駒ヶ根青年海外協力隊訓練所において、青年海外協力隊・平成11年度3次隊の派遣前訓練をうけた。駒ヶ根訓練所の今回の隊員候補生は、男性111名、女性80名の合計191名であった。

 訓練期間中にはほかの訓練と平行して、協力隊講座「青年海外協力隊の理念」「国際関係と日本の国際協力」「異文化の理解と適応」が開講された。以下はそのときの講演内容を簡潔にまとめたものである。

 「青年海外協力隊の理念」では、青年海外協力隊の金子洋三 事務局長から、青年海外協力隊の事業概要・目的・歴史・現状、隊員のあるべき姿などについて話がすすめられた。金子洋三 事務局長は、青年海外協力隊・エチオピア隊員のOBでり、協力隊のOBが青年海外協力隊事務局長に就任したのはこれがはじめてであるとのことであった。

 「国際関係と日本の国際協力」では、成蹊大学・広野良吉 名誉教授(埼玉大学大学院客員教授)から地球規模の課題、国際関係、国際協力の歴史、日本の国際協力の状況、国際協力における今後の課題などについて話があった。

 「異文化の理解と適応」では、東京大学大学院総合文化研究科・木村秀雄 教授(協力隊ボリヴィア隊員OB)より、ことなる文化において、いかに自分を生かして生活し、活動してゆけばよいかについて講義がすすめられた。

 


 

 青年海外協力隊事業の理念

-青年海外協力隊事務局・金子洋三 局長-

 

 ボランティア精神が基本である

 青年海外協力隊の最大の特色は、それがボランティア精神にもとづいているということです。つまり、各人の自発的な意思により参加するのであって、報酬を目的とはしていません。国際協力事業には、資金援助・研修生うけいれ・開発調査など国が主体になっているものがあるのに対し、青年海外協力隊は、隊員各人が主体になり、国が国民から委託を受けて、それを支援するという体制をとっています。つまり、隊員各人はプレーヤーであり、国民はサポーターです。この海外ボランティアは、国内でおこなわれているような自前でおこなわれているボランティア活動とはちがい、2年間フルタイムでかなり専門的な仕事をおこなうことになります。

 世界各国の政府関係ボランティア団体には、イギリスのVSO(1958年)、アメリカの平和部隊(1961年)、日本の青年海外協力隊(1965年)、国連ボランティア(1971年)などがあります。外国の団体は、英語の先生を派遣するなどの事業を当初からおもにおこなっていましたが、これらに対し青年海外協力隊は、最初から技術を重視する体制をとってきました。その後、ほかの国も技術を重視するようにしだいにかわってきています。

 現地の人々とともに

 また、協力隊の基本姿勢は「現地の人々とともに」という言葉に集約できます。現地の人々と生活をともにし、現地のやり方もまなび、ともにかんがえ問題を解決していきます。実際の活動は大きな困難をともなうことも多く、隊員が何代もかけてようやく花ひらく事業もあります。そのためには、現地語でのコミュニケーション能力が非常に大切です。ブロークンでもよいからとにかく沢山しゃべった方が勝ちです。こうした草の根レベルのボランティア活動が、世界の中で今後ますます大きな位置を占めるようになるでしょう。また、このような現地での仕事は隊員一人一人の活動ではありますが、協力隊という隊員全体の心の連帯が背景にあることはいうまでもありません。

 世界のために

 ところで、日本という国はほかの国とはちがい、国際的相互依存の中で生きていかなければならないウェイトが非常に高い国です。したがって、世界平和のための国際協力は必要不可欠であり、日本は、かつての被援助国の経験も生かしながら、国際的に貢献していかなければならず、その中で協力隊のはたす役割は非常に大きです。

 任期を終了した各隊員は、帰国後、任国(派遣された国)での経験をいかに生かすかが大きな課題になってきます。そこで重要なことは、その国(任国)の人の目で世界をみることでしょう。それによって、世界や物事の見方が多様になり、その後の仕事の成果もちがってくるにちがいありません。今日、グローバル・スタンダードなどよばれ、何かそのようなものが確立しつつあるような印象をあたえていますが、世界の7〜8割はまずしい国々であり、そこにある大きな課題に目をむけることなくして、世界の発展はありえないでしょう。

 

 講議をうけての感想

 青年海外協力隊の本質はボランティア精神であり、その活動をはじめるにあたっては、みずからの自発的な意思により参加したこと、課題を明確にして主体的にとりくんでいかなければならないことを再認識することが重要である。それには、現地の状況に適切に対応し、あれもこれもというよりもある程度課題をしぼるようにした方がよいだろう。

 また、「現地の人々とともに」という姿勢のもとで、現地の人々と対等の立場で仕事をすすめる。そのためには、現場の声をきき、現場の情報を重視する姿勢が必要である。グローバル・スタンダードという言葉にまどわされずに、任国の現実を直視し、世界の現実をただしく認識していかなければならない。

 


 

国際関係と日本の国際協力

成蹊大学・広野良吉 名誉教授(埼玉大学大学院客員教授)

 

 1945年当時は、2000年には発展途上国の1/3は先進国においつくだろうと予測されていました。しかし、この予測ははずれました。1988年において、一人あたりのGNPは、80ヶ国で減少してしまいました。人口に対してGNPがのびなかったのです。したがって、途上国の発展や国際協力の問題は、今日ますます大きな課題になってきています。

 第二次大戦後、アメリカ合衆国は、10大学プロジェクにより途上国の基礎調査・基礎研究を実施し、以下のことを結論づけました。(1)発展途上国は社会的・政治的におくれた国々である。(2)それぞれの国々の伝統・文化にはすばらしいものがある。(3)途上国には色々な国々があり、多様である。(4)アメリカの利益から見て非常に重要な国々(特に中南米諸国)がある。(5)自由主義を発展させるために、途上国との関係を強化する必要がある。その後、この調査・研究結果にもとづいてアメリカはODA(政府開発援助)を拡大していきました。

 日本は、1961年から本格的な国際協力を開始します。当初、通産省の経済白書には、ODAの目的は我が国の輸出を振興させることであると記載されていました。その後、通産省の指導の元でアジア経済研究所が開設されるなどして、日本においても、途上国の調査・研究が実施されるようになりました。現在、国際協力事業団にも基礎調査室が設置されています。その後、途上国への資金導入の日本の目的は、(1)共産主義や戦争から途上国をまもる、(2)貧困から途上国をまもる、(3)飢餓をすくうなど、当初の輸出の振興から、途上国の発展を援助し、途上国との関係を強化することにかわっていきます。

 そして、1990年代には、ソ連が崩壊し、共産圏の市場経済化がすすみ、アメリカのODAの最大の目的はなくなり、アメリカはODA予算を削減しはじめます。

 しかし、そんな中でも日本は、ODAを拡大しつづけODA大国になっていきます。そして、ODAによる国際社会への貢献がすすむなかで、その質を高めるにはどうすればよいかが大きな課題としてうかびあがってきます。1996年には新開発戦略が策定され、(1)環境ODAの拡大、(2)途上国における基礎教育の拡充、(3)途上国の人々の健康をまもる、(4)民主化の促進(特に女性の)、(5)市場経済化の促進、(6)兵器の増産・輸出の阻止などが提案されます。つまり、それまでのインフラ整備を中心とする経済開発から、社会開発へと国際協力の方向が大きく転換されます。青年海外協力隊でも社会開発分野が重視されるようになりました。そのようなことをすすめるためには、人材の養成・確保が当然必要になってきます。そこで、民間企業やNGO、地方自治体からの人材募集、国際協力研究科などの大学院の設置などもおこなわれるようになってきています。

 このようにして、人口抑制、環境問題、食料増産、貧困層の救済、社会保障、人材開発などの課題にとりくんできましたが、今後は、物質的ゆたかさをおいもとめることだけではだめです。たとえば、貧困問題の解決には、一人一人が自立し、希望をもって生きられるように、一人一人の住民を側面から政府が支援する、国民の国民による国民のための政治が必要です。ここでは、個の確立が非常に重要になってきます。個が確立し、一人一人が社会参加できる道をひらくことこそが21世紀の国際協力の最大の課題であるといえるでしょう。

 

 講議をうけての感想

 1945年当時の予測が大きくはずれたことにおどろきを感じるとともに、国際協力の課題の大きさを痛感させられる。

 ソ連の崩壊、世界構造の変革は歴史的大事件であり、それにより国際協力の方向も大転換した点をよく認識しておかなければならない。今後ますます重要になってくる社会開発では人材の育成・教育が必要不可欠であり、また、ひろい意味の環境問題にも自然科学・野外科学の立場からとりくむことがもとめられている。

 

 


 

異文化の理解と適応

東京大学大学院総合文化研究科・木村秀雄教授

 

 カルチャーショックとは、未知の文化をしってびっくりすることではなく、うまく行動できない、体がうごかない状態をいいます。したがって、これはいわゆる知識の問題ではなく、頭でわかっていても仕方がありません。たとえば、帰国子女が言葉につまってしまい、行動が自由におこなえず孤独になってしまうような状態をいいます。

 自動的に行動できる人がもっている知識を手続き的知識とよぶとすれば、その人の行為が無意識に、自動的になった時、この知識は完成し、その時、違和感やめずらしさがうしなわれます。

 理解や認知は、私の方から一方的にするものではありません。理解は双方向的におこるもので、外国語の学習でも、双方でたくさんしゃべっているうちにわかるようになり、同時に相手の言葉が、自分が気つかないうち自分にうつってきます。似た者夫婦も、最初から似た者であったのではなく、双方でしゃべっているうちに次第に似てくるのであり、習慣もうつってきます。さらにいえば、文化とは、具体的な物事の双方向のやりとりによって発展するものであり、価値によってできあがるものです。そのすべてをすきになれるはずはありませんが、すきでなくても適応はできるし、平気になれれば十分です。適応するとは、その社会の作法にしたがうことです。

 手続き的知識をふやし、平気である範囲をひろげると楽になれます。たとえば外国語の学習では、日本語の下書きはせずに、いきなりその国の言葉でかくことが重要で、それにより、手続き的知識が無意識でつかえるようになります。また、エスノセントリズムからのがれるためにも、具体的な知識を抽象化することが重要です。そもそも、言語にするということは抽象化するということです。また、まずしい人々をしるためには、最上流の人々をしる必要があります。このようにして、ひろい世界をしり協力隊員にとじこもらないでほしい。任地に入ったら、おもったことみたことは何でも、日記にかいた方がよいです。そして、人とよりそい、信頼を獲得しましょう。

 ところで、私が協力隊員の時の昭和53年度1次隊83人の中から、私の知っているだけでも13組の夫婦が帰国後に誕生しています。私の妻も同期の隊員です。訓練所で仲よくなったというのではなく、帰国後に本当に仲よくなったのです。これは、任国での経験を通して、無理に言葉にしなくても通じあう基盤が生じたとしかかんがえられません。しかし、ほかの人には、任国での経験はそのままではつたえることはできません。自動的な行為や無意識の行為はかたることができず、経験はそのままではつたわらないからです。

 しかし、任国で仕事をすすめるには、言葉で説明しなければならず、そこには大きな困難がともないます。ただし、そこで苦労して身につけた技は、帰国後に大いにつかえ、役立つにちがいありません。国際人とは、人間的に成熟し、沢山の事をしってしまった人のことで、外国語がペラペラ話せるかどうかとは別の事です。頑張れはきらいです。幸運をいのります。

 

 講議をうけての感想

 異文化の理解と適応ということに関して大変参考になる講議であった。異文化を理解しそれに適応するために、現地にいったら、現地の人々の中に入りこんで、さまざまなことをみずから体験していくことが大切である。そして、毎日のその体験を徹底的に記録しながらかんがえることが、異文化理解のために有効だろう。

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2002年7月17日発行
(C) 2002 田野倉達弘