植林活動からエコツーリズムへ

 解 説
 2014年7月21日に、ネパールNGOネットワークの総会が開催された。会場は、東京ボランティア・市民活動センターだった。ネパールNGOネットワークは、ネパールで活動するNGOのネットワークであり、定期的に会合をひらいて活動報告や情報共有あるいは意見交換などをおこない、さまざまな問題解決に役立てている。今回の総会では活動報告とともに、ネパールにおける今後の活動の方針について議論した。

 わたしも事業の活動報告をおこない、意見をのべた。以下はその内容を文章化し加筆したものである。

 報告の要点は、ネパール・ヒマラヤで植林活動を長年おこなってきて大きな成果があがり、目標としてきた100万本の植樹も達成したこと、そして、ネパール国内における植林のニーズはほぼなくなってきたので、今後の環境保全の中核事業はエコツーリズムになるという主張であった。

目 次
  1. 「生活林」づくりプロジェクトをすすめる
  2. 活動の概要報告
  3. 活動の詳細報告
  4. 「生活林」が、あらたなエコシステムをつくりだす
  5. 植林活動からエコツーリズムへ

1. 「生活林」づくりプロジェクトをすすめる

 2011年、私たちヒマラヤ保全協会は、ネパール西部のダウラギリ地域であらたな「生活林」づくりをはじめました。「生活林」とは日本でいう里山に相当する森林のことです。

 ダウラギリ地域は、ネパール西部の中核都市の一つであるポカラから西北西へ約60キロメートル行った所にあり、カリガンダキ川・ラウガート川・ミャグディ川の各流域にひろがっていて、ダウラギリ山麓の標高1500〜2500メートルの山岳斜面に位置しています。年間平均降水量は1500〜2000ミリメートル、平均最高気温は22℃、平均最低気温は10℃です。

 住民のほとんどは農業をいとなみ自給自足の生活をしており、現金収入はほとんどありません。炊事などに必要な燃料のほとんどは薪にたよっています。住民は、薪のほかに家畜の餌や堆肥も森林から採取するため、連日、森林に足をはこび、1回に約30キログラムの薪や飼料木を採取しなければならず、かなりの重労働を強いられている状況でした。

 住民は、森林資源(薪・堆肥・家畜の餌・木材など)に高度に依存した生活を今でもしているため、人口が増えると森林の伐採は一層すすみ、集落の近くから次第に森林は後退していました。30年前と比べると約50パーセント森がうしなわれました。こうして森林破壊がすすむと、住民は、運搬労働がおもくなって森林資源を得にくくなるだけでなく、山の保水力がなくなり、地滑り・山崩れなどの土砂災害も多発するようになっていました。

 他方で、この地域は最近まで、反政府勢力の影響がつよい地域であったため、国内避難民が多数発生した地域でもありました。多くの人々はカリガンダキ川東岸域、さらに都市部に退避していました。国軍と反政府組織との間にはさまれ窮地においこまれた人々も沢山存在しました。村長・校長先生・政府関係者・森林委員など村の中核的な人材や警察官もいなくなりました。そのためコミュニティが崩壊してしまいました。これらの結果、地域の森林や農地だけでなく人心の荒廃までもがすすみました。現地住民・農民などに対する協力活動もまったくなかったため、山村復興のニーズが高まっていました。

 2006年頃から、よその地域に避難していた人々がこの地域に徐々に帰郷してくるようになり、一方で、植林、森林保全、森林資源利用、収入向上などについて取り組もうという声が地元から出されました。これらに対して、わたしたちの「生活林」づくりの経験と技術を活用しました。既存の事業地ですでに養成されている苗畑管理人などの人材(ネパール人)が新事業地でのプロジェクトに協力することもでき、住民みずからが主体になった、地域に根ざした山村復興に取り組むことができました。

 わたしたちは、カリガンダキ川東岸地域(ミャグディ郡)においては「生活林」づくりをすでに実施し、植林、森林保全、森林資源利用、収入向上の各プログラムに取りくんでいました。この実績をカリガンダキ川西岸域のダウラギリ山麓地域においてもいかし、さらに発展させることができました。先のプロジェクトでは、苗畑を建設、植林を実施、森林再生と森林保全の成果が上がりました。また、森林資源の住民への供給に取り組み、これらの目標は達成されました。さらに、森林資源を有効に活用した生活改善・収入向上プログラムもこころみました。

2. 活動の概要報告

活動の概要は以下の通りでした。

(1)苗畑を建設し苗木を育成しました。
 (1-1)森林委員会の下に苗畑委員会を組織、苗畑管理人を決めました。
 (1-2)自主的に委員会を運営できるように活動計画をつくりました。
 (1-3)苗畑管理人を養成するための研修を実施しました。
 (1-4)植林計画をつくり、樹種を選定、種子を購入しました。
 (1-5)資機材を購入して苗畑(インフラ)を建設、拡充しました。
 (1-6)苗畑管理人が中心になって苗畑で苗木を育成しました。
 (1-7)水源を確保し、給水施設を建設、配水しました。
 (1-8)苗畑委員会を定期的にひらき、持続的に苗畑を管理運営しました。

(2)森林を保全し森林資源を供給しました。
 (2-1)適切な植林地を調査・選定しました。
 (2-2)動物の食害から苗木をまもるフェンスをつくりました。
 (2-3)植林地に村人が苗木を植樹しました。
 (2-4)トレール(山の歩道)を建設しました。
 (2-5)森林委員会・苗畑委員会が中心になって森林の管理体制をつくりました。

(3)生産活動をすすめました。
 (3-1)果樹、作物(蜂蜜・椎茸)、手工芸品(織物・紙)などを生産するための計画をた てました。
 (3-2)研修を実施しました。
 (3-3)生産活動をすすめました。
 (3-4)市場や販売ルートを調査・開拓しました。

 プロジェクトは全体を3つのフェーズにわけ、初期のフェーズほど施設建設などハード面を重視し、後期のフェーズへいくにしたがって、トレーニングやマネージメントなどソフト面を重視しました。全体として、ハードからソフトへ移行し、プロジェクトをいつまでもつづけるのではなく、村人が自立できるようにしました(図1)。

ハードからソフトへ
図1(a) ハード部門からソフト部門へと活動の重点をうつす
プロジェクトのくさびモデル
図1(b) プロジェクトのくさびモデル

3. 活動の詳細報告

苗畑を建設、運営する

(1)森林委員会の下に苗畑委員会を組織、苗畑管理人を決めた

 各村には、ネパール政府森林局の指導により森林委員会が組織されていましたがほとんど機能していないのが実情でした。そこで、プロジェクト開始にあたり、まず、森林委員会を再招集・再構築しました。そして、その下部組織、実際に計画を執行するグループとして苗畑委員会をあらたに組織しました。苗畑委員会はリーダーと苗畑管理人を中核メンバーとし、苗畑管理人のみは有給フルタイムで雇用し、苗畑の管理責任者としました。

苗畑管理人のチエさん
写真2 苗畑管理人のチウさん

(2)自主的に委員会を運営できるように活動計画をつくった

 苗畑委員会は、森林委員会と連絡を随時とりながら、リーダーと苗畑管理人を中心に、委員会を自主的に運営できるように計画をたてました。計画は、まず5ヵ年計画を立案し、その後、詳細な年間計画をたてました。雨季と乾季の気候条件の違いなどに十分な配慮をしながら、苗畑の建設、樹種の選択、植林地の選定、植樹などの重要項目についてスケジュールを決めました。

(3)苗畑管理人を養成するための研修を実施した

 新たに雇用した苗畑管理人に対して苗木の育成に関する研修をおこないました。研修は、現場での実習と理論(座学)の両面からおこないました。講師は、ネパール政府森林局の専門家、既存事業地の苗畑管理人にお願いしました。研修は、3年間をかけ断続的におこない、3段階でステップアップしていく方式をとりました。立派な苗畑管理人として自立できるようにしっかりと養成しました。

(4)植樹計画をつくり、樹種を選定、種子を購入した

 植樹は、6月から9月の雨季におこなわれるので、その前に、植樹本数、植樹スケジュール、樹種の選定をおこない、必要な種子は購入しました。樹種選定には、住民の生活に役立つという観点からおこないましたが、生態系保全の立場からほとんどすべては在来種とし、外来種はえらばないようにしました。樹種としては、森林保全に最も役立つ木(マツ・ハンノキなど)、家畜の餌になる飼料木、換金作物になる果樹(オレンジなど)、材木として適切な木(サクラなど)、良質な堆肥を生みだす落葉広葉樹などでした。種子は、必要に応じてポカラやカトマンドゥの業者から購入しました。

(5)資機材を購入して苗畑(インフラ)を建設、拡充した

 苗畑委員会の指導のもとで、資機材を購入して苗畑を建設しました。苗畑は、一度に大きな物をつくるのではなく、最初に小規模な物をつくり、3年をかけて順次それを拡充していきました。

(6)苗畑管理人が中心になって苗畑で苗木を育成する

 苗畑の拡充により、育成される苗木を徐々に増やしていきました。最終的には全体で約6万本/年の苗木を育成できるようにしました。苗木育成は、苗畑管理人が責任をもって日々取り組みました。樹種によって育て方がちがうので、枯らさないように注意しました。

(7)水源を確保し、給水施設を建設、配水した

 苗木育成には苗木に水をやることが欠かせませんでした。特に、ネパールは10〜4月は乾季となり雨がほとんど降らないので、特別な配水が必要でした。計画初年度は、苗畑は小規模であるので、おもに人力により配水をおこないました。2年目以降からは、水源を確保し、給水タンクをつくり、ホースにて恒常的に配水ができるようにしました。

(8)苗畑委員会を定期的にひらき、持続的に苗畑を管理運営した

 苗畑ができあがり、苗木が、持続的に順調に育成されるようにするために、定期的に苗畑委員会をひらき、状況を把握し、適切な判断のもと苗畑を管理運営しました。苗畑委員会の協議結果は森林委員会にも報告し、森林委員会とよく協議しながら作業をすすめました。

苗木を育成した
写真2 苗木を育成

植林をすすめる

(1)適切な植林地を調査・選定した

 育成された苗木は、集落の周辺にひろがる植林地に植樹されました。植林地は、地形・地質・土壌・気象条件・防災対策などの観点から現地調査をして選定しました。現地調査にあたっては、観察・観測だけでなく、住民からのヒアリングも重視しました。植林地は3年をかけて順次拡大したので、調査は毎年おもに乾季に全地域においておこないました。

(2)動物の食害から苗木をまもるフェンスをつくった

 本地域には、多数の家畜(水牛・牛・山羊・羊など)が飼われており、その一部は放牧されていました。放牧された家畜は、あたりの草や木の芽を食べてしまうので、植林地に植えられた苗木をそれらから守るために、家畜進入防止のフェンスをすべての植林地に建設しました。フェンスは、植樹スケジュールをみながら植樹の前につくらなければなりませんでした。植林地の拡大とともに、フェンスも順次拡張しました。

(3)植林地に苗木を植樹した

 苗畑で育成された苗木を住民(村人)が植林地に植樹しました。植樹は、村人のボランティアにより(日当や賃金は支給せずに)村人総出でおこないました。学校の生徒にも植樹に参加してもらいました。日本人ボランティアが現地を訪問した際には、日本人とネパール人とが協力して植樹作業をおこないました。日本人ボランティアがネパールでの国際協力に参加することも重要でした。

苗木を植樹
写真3 苗木を植樹

(4)トレール(山の歩道)を建設した

 住民は、森林資源を採取しやすいという理由から、集落(居住地)のすぐ近くから森林の伐採をはじめたので、森林は集落の近くから遠くに向かって次第に後退していきました。そこで、集落と、まだ豊かにのこっている森とを結ぶトレール(山の歩道)を建設することにより、なるべく遠くのまだ豊かにのこっている森林を、住民が計画的に広く薄く利用できるようにしました。これにより、近くの森林の後退が止められ森林の保全ができるようになるとともに、住民に森林資源が容易に供給されるようになりました。トレールの建設にあたっては、集落・森林などの立地条件、防災上問題がないかを事前に調査しました。必要に応じて法面補強もおこないました。

トレール(山の歩道)
写真4 トレールをつかって薪をはこんできた女性たち

(5)森林委員会・苗畑委員会が中心になって森林の管理体制をつくった

 苗畑における苗木育成、住民ボランティアによる植樹、トレールによる森林の計画的利用の3つを組み合わせて、森林委員会と苗畑委員会がよく連絡をとりながら、地域の森林の管理体制をつくり、森林が持続的に成長・保全されるようにしました。

(6)住民のトレーニングをおこなった

 森林委員・苗畑委員・日本人専門家等が中心になって、特に植樹作業をおこなうときに、生活林のコンセプトを住民に指導・徹底し、住民が主体的に植樹に参加し森林を保全、同時に、森林を計画的に利用しながら森林資源を得られるようにするためにトレーニングをおこないました。

生産物の販売をすすめる

(1)果樹、作物、手工芸品などの生産計画をたて、研修を実施した

 森林委員会と苗畑委員会などのスタッフが中心になって果樹(レモン・オレンジなど)、作物(蜂蜜・椎茸)、手工芸品(織物・紙)などを生産するための生産者を住民の意見をききながら選択し、また、生産計画を立案しました。計画では、生産者のスキルアップをステップアップ方式ですすめていけるようにしました。その計画にもとづいて生産者を対象にした研修をネパールの関係機関の協力も得ながら順次実施しました。

(2)生産活動をすすめた

 立案された計画に基づいて、各生産者が実際に生産活動をすすめました。果樹・作物に関しては気象・気候条件を十分に考慮しました。手工芸品に関しては、まずは、都市部の工場や中間業者に卸せる半製品の生産・品質向上に努力し、プロジェクト後半では完成品開発にも取り組みました。

(3)市場や販売ルートを開拓した

 森林委員会と苗畑委員会・関係スタッフが中心になって市場や販売ルートを調査・開拓しました。いくつかの団体とのトレードを実現するために協議・交渉をおこない、また、生産者や関係スタッフが生産物を販売するための営業活動も順次おこなった結果、生産物の商品化が実現し、いくらかの利益があがるようになりました。

4. 「生活林」が、あらたなエコシステムをつくりだす

 以上の活動のキーは「生活林」づくりでした。

 ヒマラヤ山村には数々の村々(集落)が点在しています。集落は、かつては自然林にかこまれていて、住民は森林のなかで暮らしていました(図2 (1) )。しかしその後、村の人口が増加してきたために、森林の自然回復力をうわまわる速度で森林の伐採がすすんでしまい、集落の周辺には伐採地(荒廃地)がひろがりました(図2 (2) )。そこで、その伐採地に植林をして「生活林」をつくり、エコシステムを回復させたわけです(図2 (3) )。「生活林」は住民の生活に役立つ二次林であり、日本でいう里山に相当する林です。土壌を保全し、耕地に堆肥や水を供給して農業の基盤を強固なものにする一方、集落と自然林との間にあって緩衝帯としても機能しています。

「生活林」ができるまで
図2「生活林」ができるまでの過程
 

 このあらたなエコシステムをさらにくわしく見てみると図3のようになります。

 
エコシステム
図2 あらたなエコシステム

 集落の周縁には耕地がひろがり、農業がいとなまれています。

 さらにその周縁では、森林の伐採がすすみ荒廃地がひろがっていましたが、そこに植林をして「生活林」にしました。

 そして、集落と「生活林」とをむすぶ「トレール」(山の歩道)を建設しました。これにより、薪・堆肥・飼料・木材などの森林資源を「生活林」から集落まではこぶことが容易になり、特に、女性と子供の運搬労働を大幅に軽減しました。一方で、住民は、「生活林」から森林資源を採取するようになるので、「生活林」の周辺にひろがっている自然環境に手をつける必要がなくなりました。したがって、ヒマラヤ本来の自然が保全されることになります。ここには、いわゆる自然保護区による自然環境保全とはことなる環境保全の方法があります。

 さらに、「生活林」(森林資源)を利用した地場産業も育成しました。たとえば、ジンチョウゲ(ネパール名:ロクタ)を利用した「紙漉」事業、イラクサ(ネパール名:アロ)をつかった「織物」事業、ヒマラヤザクラその他の花々を活用した「養蜂」事業などをおこなっています。これらは住民の生計向上につながります。

 こうして、集落(地域社会)、耕地(農業)、自然環境、トレール、地場産業などを「生活林」をキーにして有機的にむすびつけて、地域住民の生活が改善されつつ、自然環境が保全されるという仕組みをつくりあげました。

生活林ができてきた
写真5「生活林」ができてきた(写真の手前から中央部)
 

5. 植林活動からエコツーリズムへ

 わたしは、12年間にわたって、環境保全活動の一環として、ネパール・ヒマラヤで植林活動(生活林づくり/里山づくり)をおこなってきました。お陰様で成果があがり、ネパール国内での植林活動はほぼ収束しつつあります。

 環境NGO・ヒマラヤ保全協会の「ヒマラヤ植樹100万本」プロジェクトも目標を達成し、このたび終了しました。その他、各国のNGOや国際機関もネパール各地で精力的に植林活動をつづけてきた結果、森林は広域的に再生され、あらたな植林地はネパール国内ではほぼなくなってきました。

 これらの成果を踏まえ、今後は、環境保全活動の中心をエコツーリズムにうつします。

 たとえば、上記のあたらしいエコシステム(生活林/里山)はエコツーリズムのためにも活用でき、トレールはエコツアーのルートとしても利用できます。

 ネパールは典型的な観光立国であり、観光産業と環境保全とを両立させる活動はエコツーリズム以外にはありえません。エコツーリズムはまちがいなく、ネパール・ヒマラヤで今後もっとも重要なテーマになり、今後50年、100年と発展していく分野です。ヒマラヤはエコツーリズムの時代に入ります。

 植林活動実施中はご協力をいただきましてありがとうございました。わたしは今後は、ネパールNGOネットワークの立場でエコツーリズムの調査・研究をすすめていきます。現在、エベレスト街道(カトマンドゥ〜エベレスト山麓)、チトワン〜ポカラ〜カリガンダキ(ムスタン)街道のエコトレッキングルートの調査をすすめています。

トレール(山の歩道)
写真6 エベレスト街道(タンボチェ)から、
エベレスト(標高 8848m)をのぞむ