ヒマラヤの大自然を未来につなぐ環境協力

 解 説
 ネパールNGOネットワークという、ネパールで活動するNGOのネットワークがある。このネットワークでは、各加盟団体の活動報告を定期的におこない、情報を交換・共有また議論をしてさまざまな問題解決に役立てるようにしている。

 わたしも、みずからの活動を何回かにわけて報告した。以下はそのときに話した内容を文章化したものである。

 わたしが出席・報告した会合は、2009年5月21日、7月16日、2010年5月27日、6月7日、7月23-24-25日に開催された会合であった。わたしのほかにも、ネパール・カルナリ協力会、日本ケナフ開発機構、ネパールやぎの会などからの活動報告があった。

 本報告はつぎの5節からなり、これまでにおこなってきた活動を概観した内容になっている。

目 次
  1. 登山・探検、フィールドワークから国際協力へ
  2. 地域住民の生活基盤となる「生活林」をつくる
  3. ファンドレイジングに取り組む
  4. 山岳エコロジースクールを開催する
  5. 住民参画による問題解決を実現する

1. 登山・探検、フィールドワークから国際協力へ

登山・探検からはじまる

 わたしは、NPO法人ヒマラヤ保全協会(IHC: The Institute for Himalayan Conservation)の事務局長をつとめています。この組織は、地域住民が主体になった環境保全活動にとりくんでいる国際環境NGOであり、その中核事業は植林活動です。ヒマラヤ保全協会はヒマラヤ技術協力会を前身とし、これは1974年に、民族地理学者の川喜田二郎教授が創設し、それ以来36年間にわたってネパール・ヒマラヤで国際協力活動をつづけてきました。

 先日わたしは、映画『秘境ヒマラヤ』(西北ネパール学術探検隊の記録/川喜田二郎隊長/読売映画社)を見る機会にめぐまれました。この映画には、1958年のネパール・ヒマラヤの様子が克明に記録されていました。

 川喜田教授は、この記録に先立つ5年前、1953年に、マナスル登山隊の一員として、ネパール・ヒマラヤのマナスル~アンナプルナ一帯の現地調査(探検)をおこなっていました。その後、次の目標としてヒマラヤのチベット世界を選択し、1958年ドルポへむかい、このとき記録されたのが今回の映画です。このとき川喜田教授は、将来、ヒマラヤで国際技術協力をおこなうことを決意していました。そして1963~1964年、第三次東南アジア稲作民族文化調査団(団長:川喜田二郎)を組織し、ネパール西部のシーカ谷に7ヵ月間滞在してフィールドワークをおこない、その結果を踏まえて、なるべく奥地でしかし現実的に実施できる場所として、このシーカ谷を国際技術協力の事業地にえらびだし、協力活動をおこなうことを村人と約束しまた。その後1970年のプリテストをへて、1974年に、ヒマラヤ技術協力会(ATCHA: The Association for Technical Co-operation to the Himalayan Area)を発足させ、国際技術協力を具体化しました。ヒマラヤ技術協力会は、現地住民への愛情と深い現地認識を基盤としていましたが、その視野はひろくヒマラヤを実践舞台とし、そこからくみあげた教訓・哲学を全世界の僻地農村への協力に役立てることを目指していました。ヒマラヤ技術協力会は、その後ヒマラヤ保全協会になり現在にいたっています。

 今こうして歴史的にふりかえってみると、1953年の登山・探検、1958年のフィールドワーク(学術調査)、1974年からの国際技術協力へとつらなっています。これらをつらぬく本質はパイオニアワークであり、ここには、あらたなフロンティアをたえず切りひらいていく姿勢がありました。

 川喜田教授は三重県うまれ京都そだち、旧制第三高等学校(理科)から京都大学文学部地理学科へすすみ、山岳部に席をおきました。京都の山のリーダーであった自然学者の今西錦司教授の薫陶をうけ、登山・探検・フィールドワークにわかい頃からとりくみました。卒業後は、東京工業大学・筑波大学などの教授を歴任しました。学園紛争時には教授を辞任し、創造性開発を中心的なテーマにした「移動大学」という事業を開始しました。専門は民族地理学・文化人類学です。1953年にマナスル登山隊に参加して以来、ネパール・ヒマラヤのフィールドワークをつづけ、『ネパール王国探検記』『鳥葬の国』などの紀行やノンフィクションから、『素朴と文明』などの独自の文明論までひろく手がけ、晩年には「没我の文明」を提唱しました。その一方で、ネパールにふさわしい形の国際技術協力をすすめ「適正技術」の重要性をときました。その成果がみとめられ1984年には、アジアのノーベル賞とよばれるマグサイサイ賞を受賞しました。ネパール・ヒマラヤでのフィールドワークと技術協力を通して得られた多種多様かつ膨大な情報をまとめ、そこから発想するために考案された「KJ法」はひろく社会にみとめられ、今日の定性的情報処理法・問題解決法の元祖となりました。この問題解決法はその後、国際協力の実践を通してあらたな研究をすすめる「アクションリサーチ」へ展開し、あたらしい価値観を生みだしました。

 このように、わたしたちの活動には、「登山・探検」→「フィールドワーク」→「国際技術協力」→「アクションリサーチ」という発展段階があります。アクションリサーチとは、対象を外からながめて認識するのではなく、現場の中に入って地域や住民と一体になって仕事をすすめる世界内的な立場に立って、行動と研究とを一体化させた方法であり、国際技術協力の実践を通してえられる多種多様多量な現場情報を統合・体系化し、よくできたアウトプットをだしていくことをめざしています。

 わたしは、あらたなフロンティアを切りひらく方法はこのアクションリサーチであるとかんがえ、この技術化・思想化つまり体系化という大きな課題に現地での事業推進を通して日々とりくんでいます。

NGO活動を推進する

 ヒマラヤ技術協力会〜ヒマラヤ保全協会の36年間の活動の歴史は具体的には、第一期「パイプライン&ロープライン」プロジェクト、第二期「植林」プロジェクト、第三期「生活林」プロジェクトに分けられ、現在は第三期の「生活林」プロジェクトをおこなっています。

 技術協力がはじまった当時、ネパール西部ミャグディ郡シーカ村に入っていき、はじめはテント生活をしていました。その後、「そんなところでは何だから、まあこの家をつかってください」と村人にいわれて民家をかりるようになります。

 つまり、村へは外側から入っていき、徐々に村人の中に入りこんでいったのです。また、はじめは、村の政治・教育・思想などにはかかわらないようにし、最初はあくまでも技術協力をおこないました。このような点でも外側から次第に村の内側の世界へ入っていったわけです。当初、団体の名称を“技術”協力会と命名したのはこのためでした。こうして、合意を形成しやすいところから仕事をはじめ、ハードからソフトへ、環境から社会へといった協力活動の流れの基礎をきずきました。大変合理的でわかりやすい行き方でした。

 組織体制としては、ヒマラヤ技術協力会(現NPO法人ヒマラヤ保全協会)、川喜田研究所、KJ法学会(KJ友の会)といういくつかの組織がつくられました。これらは、NGO・株式会社・学会、あるいは、非政府非営利組織・営利組織・研究組織・人材ネットワークといった ことなる性格をもった諸組織です。こうして、タイプのちがう組織をつくり、人材・物資・予算などを適正に配分、経営するといった独自の組織運営方式を開拓しました。こうしてわたしたちは理念だおれになることはなく、また、より大きな組織の下請けになることもなく活動をすすめることができました。

 わたしは当初は、株式会社川喜田研究所に主任研究員(社員)として勤務しながら、NGO(ヒマラヤ保全協会)には一般会員として所属していました。1997年に、NGOの活動でネパールに渡航した時は、株式会社からの出向という形で行くことができました。NGO活動をおこなうにあたっては、気があっても収入がなければ生活はできません。NGO活動を実際的に推進し、問題を現実的に解決するためにはこのようなやり方は有効でした。

 1997年、わたしは、ネパールではじめてKJ法(問題解決の方法)の講習会をおこないました。ヒマラヤ保全協会は、それまでは技術協力を中心におこなってきましたが、このとき現地の人々の能力開発に明確にチャレンジしはじめました。ここにプロジェクトの質的転換があり、これを踏まえてあらたなプロジェクトを開始していくことになります。それは住民主体の環境保全活動の実践であり、ここでは現地住民の主体性を重視し、関係者が主体性を発揮することが重要です。そのためには、住民や関係者の問題解決能力を向上させていく必要があります。

ネパールは、長年の紛争と混乱の傷をいやしはじめた

 わたしたちが活動しているネパールは、沖縄本島とほぼ同緯度の亜熱帯に位置し、国土は、北海道の2倍ほどの面積をもちます。標高8848メートルのエベレストを頂点にしたヒマラヤ山脈から南部低地(標高約60メートル)のジャングルまで、標高差は世界でもっとも大きくなっています。この国土に約2600万人の人々が暮らしており、国民の8割がヒンズー教徒であり、カースト制度による身分区別が事実上いまでも存在します。

 2001年6月、当時のビレンドラ国王が他の8人の王族とともに殺害されるという大事件がおこりました(いわゆる王宮事件)。その直後に、実弟のギャネンドラ国王が即位しましたが政情不安におちいり、ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の武装闘争による治安悪化、国王の直接統治、反国王運動の激化という動乱がつづきました。そして、10年間にもわたる「人民戦争」では1万3000人以上の人々が死亡、経済的にも危機的状況になりました。

 2006年11月、武装闘争をつづけてきたマオイストを含む8政党が和平に正式合意しました。その後、暫定政府による新憲法制定のための制憲議会選挙をへて、2008年、ネパールは連邦共和制を宣言し、1769年にはじまったネパール・シャハ王朝はその歴史に幕を閉じることになりました。やっと訪れた平和に、一時は半減していた外国人観光客数も徐々に回復してきました。

 ネパールは、100を超える民族が存在する多民族国家であり、その中にはネパール語を母語としない人々もたくさんいます。1日1ドル以下の所得人口が4分の1を占めるアジアの最貧国であり、小学校を卒業できる児童は今でも半数にとどまります。日本の無償援助・技術協力は2006年度までに2200億円にのぼり、公的な支援だけでも5000人を超える日本人がネパールのために協力してきました。ネパールが歴史的な一歩を踏みだそうとしている今、わたしたちにできることは何か、本当に役に立つことはどんなことなのか、真剣にかんがえなおさなければならない状況にあります。

事業地も大きな転換期をむかえている

 2008年5月、わたしは事業地の一つのブギ村に来ました。
「わたしたちに投票してくれて、ありがとう!」
 共産党毛沢東主義派(マオイスト)の人たちが集会をひらいて村人たちにお礼を述べています。ここは、マオイストが長い間活動していた地域の一つです。

 今回おとずれたブギ村をふくむネパール西部カリガンダキ川西岸地域で新プロジェクトを開始するという構想はこれに先立つ5年ぐらい前からありましたが、ネパール国内の情勢悪化のためにこのエリアでプロジェクトをおこなうことはできない状況でした。ネパール内戦下のきびしい状況をおもいだすと、よくここまで来ることができたと感慨深いです。わたしは、現地プロジェクトを通して現場をあるきながら激動するネパールを直に見てきました。実際に行動していると見え方は非常にふかまってくます。

 その翌年2009年から、わたしたちは、この村をふくむ地域においてあたらしいプロジェクトを開始します。このあたりは、10年間におよぶネパール内戦のために村の荒廃がすすんでいます。現在、森林再生や生活基盤整備とともに、村の復興、そのための生活基盤づくりが大きな課題になっています。

 また、この地域では、地滑りや崖崩れが多発して集落に危険がせまっています。土壌の流出は村の土地を崩壊させるだけでなく下流域にも悪影響をもたらし、時には大災害の原因にもなります。今後、植林をすすめて土壌流出をくいとめていかなければなりません。一方、そばのカリガンダキ川沿いには自動車道路があらたに開通し、村の生活環境も大きく変わりつつあります。村で採れた農産物が売りやすくなるし、町から物が買いやすくなります。道路や森がよくなればふるい耕作地の改良もでき、農業の近代化もできます。現金収入をどのように得るかといえば、今は、出稼ぎ以外にほかにほとんど方法はありませんが、農業の生産性を高め、農作物が市場で売れれば現金収入も得られるようになります。

 内戦がおわり、事業地の村々は大きな転換期にさしかかっています。今こそ、多くの人たちと協力して事業をすすめていかなければなりません。

2. 地域住民の生活基盤となる「生活林」をつくる

ネパール・ヒマラヤは森林減少地域である

 地球の森林は、毎年、九州・四国ほどの広さ約600万ヘクタールずつ消失しています。また、FAO「Countries with large net changes in forest area 2000-2005」によると、ネパールは、年間の森林の減少率が5パーセントを上回る地域(森林が減っている地域)に分類されています。一方、日本は、年間の森林増減率がマイナス5パーセント~プラス5パーセントの間(森林の増減が少ない地域)に分類されています。

 FAOによると、2000~2005年に減少した世界の森林は、年平均で約730haであり、これは、1分間につき東京ドーム3個分、1時間では179個分に相当する森林面積が減少していることになります。日本国内にあらたに植林をする地域がなくなっている一方で、発展途上国における植林が重要です。ネパール・ヒマラヤも森林減少地域であり、当事国だけで植林・森林保全をすすめるのが困難な現状を踏まえると、植林・森林保全の国際協力が重要になってきます。

12年間で約72万本を植樹する

 1990年代、ネパール・ヒマラヤの山村では、人口急増とともに住民による森林伐採がすすみ、土壌流出、土砂災害の多発、水質悪化、野生動植物の減少などがひきおこされ、ヒマラヤの自然環境は急激に破壊されていました。

 そこで、森林破壊がいちじるしいネパール西部のキバン-ナンギ地域において植林・森林保全の活動がはじめられました。空からヒマラヤをながめると、今や大半の森林が消失してしまっていることに気づかされます。世界の屋根・ヒマラヤは、世界最大の標高差による幅広い気候帯をもち、地球上で最も多様性に富んだ自然環境を生みだしています。このヒマラヤの貴重な大自然を人類の財産としてまもっていくことは、わたしたちに課された大きな使命です。

 わたしたちは、ヒマラヤの山村において現地住民の協力のもと、1996年から、苗畑で苗木を育成、ボランティアによる植樹をおこない、12年間で、約72万本を植樹、約1,500ha(東京都の渋谷区に匹敵する面積)の森林を再生させました。この活動を通じて、現地住民にとって森林を保全し自然環境を守ることは、自分たちの生活を豊かにするという理解を促進し、この住民の大きな意識改革により、現地住民と協力して事業をすすめれば、自然を再生させ、かつ持続的な環境保全が実現できることをしめすことができました。

 12年間にわたってつづけてきた植林プロジェクト(キバン-ナンギ地域)は、2008年3月をもって終了し、苗畑を各村にハンドオーバーしました。森林は確実に再生され、今後は、村の森林委員会の指導のもとで村人みずからが森林を維持・管理し、計画的に利用していくことができることを確認しました。

 村人の言葉です。
「ヒマラヤ保全協会の皆さんには、本当に長い間ご支援をいただきましてありがとうございました。ご覧の通り見事な森林がよみがえりました。これで、薪、家畜の餌、堆肥、材木が集落のちかくで容易にとれるようになりました。森をつくりながら、同時にそれを利用するといったサイクルができました。また、水源の涵養もでき、農業用水も確保できます。土壌浸食や土砂崩れも少なくなりました。わたしたちの生活は高度に森林に依存した自給自足生活であるため、森を再生することは生活基盤をつくることに他なりません。これからは、この森がふたたび後退することのないよう、わたしたちがしっかり管理をし、まもっていきます。住民は、村のルールをまもって、時期と区域を決めて計画的に間伐・枝打ちをおこなうことになっています。また、苗畑は、その役割を十分果たしましたので、規模を大幅に縮小し、必要な分だけの苗木を育成することにします」

周辺地域の成果を見てやる気になる

 一方、ネパール西部サリジャ村のリーダーのキリシュニ=プンさんから、あらたな植林事業ができないかどうかの打診がわたしたちにありました。わたしたちは、となりのミャグディ郡において約30年間にわたって森林保全活動をおこなっていたので、パルバット郡に位置するサリジャ村の人々もミャグディ郡での成果について知るにおよんで打診してきたのです。

 その後、現地調査をし、森林が破壊されていること、また村人の意識が高いことを確認してあらたなプロジェクト開始を決断をしました。事前調査には約5年を要しました。

 植林の一方、地域の森林資源を利用した織物・紙漉事業をおこないたいという提案もありました。わたしたちは、森林の再生と利用のサイクルをつくる、自然と人間が共生する道をひらくという観点にたち、また、UNDP(国際連合開発計画)の女性支援プロジェクトが2000年頃よりこの村でおこなわれていたので、それとの共同プロジェクトとして、さらに、マラヤ保全協会の会員の中に手工芸品をとりあつかっている会員もいたので、その方々との協力も得られれば成功する可能性があると判断しました。サリジャ村の人々がみずから要請してきたので、こちらがとやかく言うまでもなく村人たちは当初から大変やる気になっていました。村人たちはプロジェクトを受け止めるということではなく、みずからやろうという積極的能動的な態度があったのがよかったです。

環境保全と住民の生活のために

 2005年、わたしたちは、「生活林」プロジェクトをあらたに開始しました。このプロジェクトには以下のような効果があります。

 ヒマラヤでは、いちじるしい人口増加とともに森林の減少がすすんでいます。それは、ヒマラヤで暮らす人々が、生活(薪や家畜飼料の採取など)のため森林を伐採しなければならないからです。森林が伐採された後には荒廃地がのこり、地域の環境破壊が深刻な問題になります。森林を利用しそれを減少(後退)させたのは住民ですが、一方で、住民は森林に依存した生活をしているため、森林が後退することにより住民の生活はくるしくなります。そして住民は、森林伐採を奥地へとさらにすすめ、生活が一層くるしくなるという悪循環が生じてしまっているのです。

 そこで、わたしたちは、森林を再生させるとともに、人々の生活を改善することを目的に「生活林」プロジェクトをはじめました。

 (1)地球温暖化の対策として重要である
 今日、地球環境問題として地球温暖化がクローズアップされています。地球温暖化は、温室効果ガス(CO2)の増加によってひきおこされているとされ、その削減が世界的な課題になっています。CO2削減のためには、その排出量を減らすとともに、それを吸収する森林を増やすことが必要です。このような意味で、森林減少がいちじるしくすすんでいるヒマラヤにおいて植林活動をすることには大きな意味があり、ヒマラヤの森林は、ヒマラヤだけのものではなく世界へとつながっているのです。ヒマラヤ植林が世界でもみとめられるよう努力をつづけなければなりません。

 (2)自然環境を保全する
 地球温暖化対策以外にも植林活動により様々な効果が生じます。たとえば、森林は緑のダムと言われるように、森林ができると樹木が土地に根をはり、地下水をはぐくみます。ヒマラヤは南アジアの水源域として重要であり、森林は、その水資源を涵養するためになくてはならないものです。また、雨季の豪雨のとき、樹木の枝葉がクッションとなり雨滴が表土に直接あたらなくなるので、土壌流出をふせぐ効果も生じます。水資源の涵養、土壌保全のほかにも、動植物の保護による生物多様性の保全、景観の保護など自然環境を保全するための様々な効果が生み出されています。さらに、自然環境の保全は、エコツーリズムの実践といったあらたな価値も生み出しつつあります。

 (3)住民に森林資源を供給する
 ヒマラヤで暮らす人々は、森林の中に入り込んだ生活をしており、その暮らしは森林資源に高度に依存しています。自然保護だけを目的にするのであれば保護区(保護林)を増やせばよいですが、それだけだとヒマラヤ山村の人々は生活していけなくなってしまいます。たとえば、ネパール全体で消費する全エネルギーの約70%が薪であると言われています。家庭での調理用、暖房用の他、レンガ製造などの工業用熱源として薪は使用されています。また、山間部では放牧する草地が少ないため、樹木の葉を家畜飼料として人力であつめて家畜に食べさせています。つまり彼らは、薪や家畜飼料を森林から絶えずあつめないと日々の生活が成り立たないという、森林に大きく依存したライフスタイルをもっています。さらに、森林に溜まる落ち葉はやせた畑の肥料としても活用され、豊かな森林は水をはぐくみ畑に農業用水を供給します。ヒマラヤには「耕して天に至る段々畑」があり、この段々畑を支える基盤が森林なのです。このように、ヒマラヤの植林活動は、薪・家畜飼料・材木・食料・薬草・堆肥・換金作物・水などの森林資源を住民に供給し、住民のもっとも重要な生活基盤をつくることになるのです。

 (4)住民の生活を改善する
 ヒマラヤの人々は、薪や堆肥、家畜飼料を採取するために長時間の重労働にたずさわることを余儀なくされ、特に女性の健康維持と社会参加、教育を受ける機会の減少など社会的な悪影響が出ています。植林により、薪やその他の森林資源を豊富に生み出す森林が集落の近くに再生されると、農業の改善ととともに、住民の社会生活も改善できます。わたしたちは、住民の生活基盤となる森林を「生活林」と命名し、単に木を生産するだけではなく、地域住民の生活を積極的に改善する努力をつづけています。生活林とは日本でいう里山に相当する林です。これにより、地域住民が植林活動に主体的に参加するようになってきています。この取り組みは、住民みずからがみずからの森をそだてるといった取り組みであり、住民が主体的に参加しながら、持続的継続的に自然環境を再生・保全していくプロセスです。生活林は、人手が入ってこそ健全に保たれる森林であるので、住民の主体的参加があってこそ永続的に森林を保全していくことができます。こうして、森林を利用しつつ育てるという仕組みができあがれば、森林と住民の循環的関係が構築され、自然と人間が共生していく道をひらいていくことができます。

保護林と生活林の違いを明確にする

 ネパールにある森林の20パーセントは既に国立公園や保護区に指定されており、これらの森の生態系を保護することは重要ですが、いたずらに村の森を保護区とすることはさけなければなりません。森林利用グループが管理する森では、一定の環境基準を遵守しているかぎり、伐採をふくめ森林利用を制限すべきではありません。

 森をまもることと、人々の生活を守り村の発展をかんがえることは不可分です。自然保護だけを目的にするのであれば保護区(保護林)を増やせばよいですが、それだけだと、森林に大きく依存したライフスタイルをもっているヒマラヤ山村の人々は生活していけなくなってしまいます。ヒマラヤで森林保全事業をすすめていく場合、保護林と利用できる森に関してこのジレンマはどこかで解決しなければなりません。

 そのためには、両者の間のどこかに一線をひき、役割分担を明確にしていく必要があるでしょう。保護林では、生物多様性の保全、原種の保護といったことが目的になりますが、村人が利用できる森では、木をそだて森をまもってこそ自分たちの生活が改善されていくといった、利用してこそ守られるという仕組みをつくることが必要です。

 結局、総合的・長期的にこの課題をとらえて、森林が、これ以上破壊・後退することなく増えていくようにすることがもとめられます。未来にむかって問題を解決していくことこそ重要です。わたしたちは、一定のルールのもとで村人が利用できる森のことを「生活林」とよぶことにしました。

 世界的なサル学者の河合雅雄さんは、「里山は簡単に言えば、人間に役立つように維持管理されている低山帯のことです。そして人間に役立つという部分は、その時代ごとに変化していきます」と言い、里山の意義を時代に合わせて再形成し、森林を文化資源としてそだてることを主張しています。日本の里山の取り組みは、ヒマラヤでの生活林づくりをすすめるうえでも大変参考になります。

 また、マダガスカルのある地域では、地元の人々の生活のための森林利用と、森林の保護や再生の動きとの間で綱引きがつづいているそうです。この問題を解決するために、保護区と居住地の間に日本の里山に似た緩衝地帯をもうける植林活動がすすめられ、果物をとったり、燃料にしたりする木を家の裏に植えています。そうしないと奥地の森林がどんどん破壊されます。保護よりも生活という現実があり、放置すれば森が減るという状況です。

 日本の里山に似た緩衝地帯をつくるということは、わたしたちがすすめている生活林づくりとおなじ発想です。これは、森林の利用か保護かといったジレンマを解決する唯一の方法といってもよいです。生活林をつくりだすことにより、ひとつの地域は、居住地(集落)を中心にして、「居住地-耕作地-生活林-保護林」と周辺域へひろがる構造ができあがります。生活林は緩衝地帯として機能し、人間と自然環境との対立をなくし、両者が共生していく場をつくりだすことを可能にしていきます。

苗木を育て植樹する

 事業地では、苗畑を管理する管理人を養成・雇用しました。苗畑管理人らを対象に苗畑運営・植林セミナーを開催、その内容は、苗畑と共有林のマネージメント、苗床の作り方、記録のつけかた、種子の選び方、苗木の育て方などでした。事業地の一つナルチャン村ではコハビーレ=ガルブザさん、サリジャ村ではコカムヌ=コラザさんが苗畑管理人をつとめ、苗木の世話を毎日するようになりました。ナルチャン村では、主に、マツ、ハンノキ、サクラ、ポンカン、インデアンローズウッドなどを、サリジャ村では、マツ、ハンノキ、カンニュー、ティムール、ロクタ、イラクサなどを育成しました。大きくなった苗木は夏の雨季に植林地に植えます。マツは日当たりのよい尾根筋に、ハンノキは日当たりのあまりよくない谷筋におもに植えていきます。大きくなった木は薪・材木・家畜飼料などとして利用され、果樹は食用のほか販売すれば現金収入にもむすびつくようになりました。森がよみがえって良質な堆肥も生産でき農業にも貢献できるようになりました。地域防災の効果もあがりました。苗畑運営は軌道にのり順調に成果があがっています。苗畑運営と植樹にとりくみ、ナルチャン村とサリジャ村を緑ゆたかな村にすることができました。

 また現地では、森林管理委員会の下に苗畑管理委員会を設立し、村人が主体になった苗畑・森林の管理運営を実施しています。苗畑運営の研修・支援と植林をすすめるとともに、森林の持続的利用に関した研修・教育プログラムや、森林利用グループ(住民)に対する事業運営のためのワークショップもおこないました。ナルチャン村とサリジャ村の住民が参加し活発な議論をかさね、苗畑管理人は植樹の指導もおこなっています。植林と森林経営の確立によって持続的な森林保全が可能になりました。苗木育成能力を徐々に向上させた結果、今日、年間2〜3万本の苗木をそだて植樹できるようになりました。

トレール(山の歩道)を建設する

 さらに、集落から森林地帯に通じる、薪や堆肥・家畜飼料・材木などの森林資源を運びだす運搬通路(トレール)を建設しました(写真)。なるべく遠くのゆたかな森から少量の薪や家畜飼料・材木などを計画的に広く薄く切りだすようにすれば、木は自然に生えてくるので森林破壊にはならず、また、集落近辺の木々を伐採する必要がなくなり、森林がこれ以上後退することはなくなります。

 それにくわえ、トレールによって、住民にとって薪や堆肥などの運びだしが容易になり、労働が軽減され住民の生活が改善されました。家畜を森につれて行き餌をあたえることにも容易になりました。特に、子供や女性が運搬労働に従事することが多いので、子供や女性にとってこの効果は計り知れないものとなりました。

 こうして、トレールは、森林保全とともに住民の生活改善にとっても非常に有益であり、地域活性化のためにも役立つようになりました。

植えながら使っていくプロジェクト

 植樹による森林保全活動にくわえて、サリジャ村では、地元の森林資源を利用した織物・紙漉事業もすすめています。この事業地では現金収入がほとんどないため、住民は非常に貧しい生活をしており、住民の収入向上は、地域社会の発展にとって非常に大きな課題になっていました。収入向上プログラムでは、事業地に自生する、ミツマタの類種であるロクタ(ネパール語名)を原料に紙漉事業を、イラクサ(ネパール語名:アロ)を原料に織物事業をおこなっています。そのための加工施設も建設しました。織物や紙は販売することができ、地域の人々の貴重な現金収入になっています。

 現地には、自然資源管理・環境教育・事業企画などの専門家を派遣し、原料となるロクタやイラクサの資源量を調査するとともに、住民に対して森林保全・森林資源利用に関する指導もおこないました。また、自然資源を持続的に利用しながら環境を保全するために、苗畑管理・植林・環境保全にいたる環境管理全般に関する指導も実施しました。その後、森林資源を利用して工芸品を生産販売している工芸専門家や、工芸品販売のための市場調査の専門家も派遣しました。現地住民にとって、工芸品による収入向上事業にとりくむのは初めての試みでしたが、専門家などの指導により、加工工程をチェックして生産体制を確立し、また、生産物の販売先や販売方法などについて検討をかさねた結果、利益がでるまでになりました。

 今後の課題は、織物・紙漉の作業従事者の技術をさらにみがくとともに、委員会のマネージメント能力を強化することがあげられます。同時に、商品販売の具体化にむけて取引先とさらなる協議をすすめています。加工品は、ネパールの中核都市であるクスマやポカラ、カトマンドゥ、バクタプールなどの製品加工工場に卸すことができます。まずは、完成品ではなく半製品をサリジャ村から各所へおろせるようになることを第一の目標にしています。将来的には、森林資源を活かした地場産業として成長できるように体制をつくっていきます。

 このように、苗木をただ植えて森林を再生させるだけでなく、住民に森林資源を供給し、彼らの暮らしぶりをよくする努力もつづけています。「植えながら使っていく」ところに、わたしたちがめざす自然と人間との循環的共生関係を構築していく基礎があります。

3. ファンドレイジングに取り組む

現地と会員・支援者とがうまく連携していなかった

 ところで、近年、NGOあるいはNPO活動において、ファンドレイジング(資金開拓)が大きな課題になってきています。わたしもこの課題について検討をかさねてきました。

 NGO/NPOの組織運営上の一つの問題・課題は資金不足であり、わたしたちも、活動をささえる財政基盤が弱いと言わざるを得ない状況でした。資金の現状は、毎年申請する助成金だのみというのが実情で、助成金だけでは組織基盤を強化することにはつながりません。定常的な収入としては会費と寄付金収入がありますが、収入に占めるこの割合はひくい水準にとどまっていました。

 わたしたちは、毎年かかさず募金活動をおこなって、2000通以上のダイレクトメールをおくることもありましたが、効果はいまひとつでした。募金活動にかかわれる人員は少なく、そのための事務作業にかかる労力は膨大で大きな苦労になっていました。寄付者や会員はそれほど増えず、増えないからまた募金活動をするが、資金はおもったほどにはあつまらず苦労はかさみ、また募金をするという悪循環におちいっていました。

 一方、現地事業の推進と支援者(会員と寄付者)の対応との間にも課題があり、現地事業をすすめながら資金や人がさらに必要になってくると支援をつのりますが、現地事業と支援者対応との連携が今ひとつで、組織としての一体性がつくりだされていませんでした。現地事業を一生懸命やると支援者対応はおろそかになりがちになり、支援者対応に労力をそそぐと現地事業がすすまなくなるという傾向が生じていました。

 よいことをしているのだから寄付してくれるはずだといった甘い気持ちももっていました。そこには、寄付によって助けてもらおうという間違った姿勢がありました。わたしたちの活動は植林活動を中核とするので、あまりふかくかんがえずに、「ヒマラヤに木を植えています」→「だから寄付をください」→「そうすればヒマラヤに木を植えます」といった短絡的なお願いをしていました。このようなお願いをする時のキャッチフレーズも抽象的でわかりにくいものでした。ウェブサイトも、組織のパンフレットの代用、あるいは単なる広報ツールになっていて活用しきれていませんでした。

 また、寄付者の方を真剣にむいていおらず、寄付者が、寄付に対して本当は何をのぞんでいるのかをよくしらべていませんでした。寄付者の視点から寄付者の立場に立って、寄付に対する対価が何であるのかを読みとっていませんでした。その結果、ごくかぎられた人々にしか活動に参加してもらえていませんでした。ボランティアとして参加できる人もかぎられており、多くの市民をまきこむことはできず、ごく一部の人たちだけをたよりに資金獲得をおこなっていたのが実情でした。

 このような状況では、支援者(会員や寄付者)が現地事業の主体(主役)にもなれず、現地事業と支援獲得とが歩調をあわせられるはずもなく、募金活動あるいはNGO/NPO活動が社会の変革をささえるものとして機能することなど夢となっていました。

「100円で1本の木が植えられます」

 このような問題を解決するために、ファンドレイジング(資金開拓)を新たな発想のもとで開始しました。必要なことは、わたしたち自身が意識を転換することであり、発想を逆転させることでした。

 あらたにはじめたファンドレイジングでは、「ファンドレイジング=寄付集め」という固定観念をすてさり、ファンドレイジングこそ市民参加の重要な方法であるととらえなおし、社会を変える根本的な力になるという発想に転換しました。そして、魅力的な課題解決のための市民参加プログラムをつくり、市民に提案し、より多くの「参加」がすなわち「寄付」になるような仕組みをつくりあげいく。「ファンドレイジング」→「資金不足解消」→「事業の展開」という図式ではなく、今ある事業をベースにファンドレイジングをつかって多くの市民をまきこみ、その力を掘りおこしました。参加を増やすための重要な手段としてファンドレイジングをつかおうという試みです。具体的には、「社会貢献ができますよ」→「わたしたちの活動に参加してください」→「ヒマラヤに木を植えることができます」という図式に変更しました。

 企業への寄付のお願いについても、今までは、「ヒマラヤに木を植えます」→「だから寄付をください」→「そうすれば消費者へのアピールにもなりますよ」というものでしたが、「消費者へアピールをしませんか」→「わたしたちの活動に参加してください」→「そうすればヒマラヤに木を植えられます」という図式に変更し、アピールの仕方・内容をわたしたちが企業へ提案しました。ここに従来の視点とはちがう発想の逆転がありました。

 また、CRM(Cause-Related-Marketing)も開始しました。これは、企業が広報をおこなうときに、NPOとパートナーシップをくむという方法であり、企業側はNPOに対して財政的な支援をおこない、その見返りとして企業のマーケティングにNPOの名前やロゴなどをつかう権利をもてるという方法です。これにより、企業は、社会や市民に配慮している「企業市民」としての役割をアピールすることができます。その企業の顧客は、その企業の商品・サービスを買うことによって社会貢献ができます。NPOは財政支援をうけるだけでなく、企業のもつマーケティングのノウハウをまなんだり、その企業の広報宣伝力を活用することができます。企業は、財源に余裕があるから寄付金をだすというのではなく、一方のNPOは社会貢献をしているのだから寄付をくださいというのではありません。両者がパートナーをくむことが重要です。また、どのような人々に寄付をもとめていくのかというターゲッティングもおこない、参加意欲を刺激する情報提供をしました。広告掲載によるファンドレイジングもおこない、今すでにある人的ネットワークもつかっていきました。

 これらの仕事をすすめていくうえでは、寄付金の使い道を具体的にあきらかにしなければなりません。具体的には、「100円で1本の木が植えられます」というキャッチフレーズを明確にうちだしました。短く、できるだけ具体的にしめすことが重要です。つまり、寄付金100円につき1本の木をヒマラヤにかならず植えるということです(10,000円の寄付だと100本を植えることになります)。

 そして、消費者へどのようなアウトプットをだすのか、そのイメージを明確にしておき、寄付者との約束をはっきりさせました。お礼と報告もかならずおこないました。寄付者=参加者としてとらえなしてとらえなおして、参加の方法(手順)をしめすという観点からウェブサイトも再構築しました。こうして、市民の問題意識をほりおこし、参加を実現する手段としてのファンドレイジングを実践し、ファンドレイジングを活動の重要な柱にしました。

 こうして、「生活林」プロジェクト(目標:ヒマラヤ植樹100万本)は進展し、年間約6万本の植樹が可能になりました。

支援者がプロジェクトの主体になる

 このようなプログラムによりファンドレイジングを継続的なものにし、寄付金・会費を安定的な財源にすることができました。参加する市民がふえることは支援者増加、しいては組織基盤の強化につながり、支援者参加の行事も開催できます。ファンドレイジングには関係者全員がかかわってくるので人的ネットワークが強化され、支援者を問題解決の主役にすることもできます。このようなプロセスを通してわたしたちの意識は改革され、問題解決能力を高めていくことにもつながりました。

 また、ファンドレイジングの実践を通して、寄付者の内面的な対価(非物質的・非金銭的なもの)をさぐりあてることもできました。そして、寄付が、自分が社会にとって有意義な存在であるということを再認識させてくれる仕組みとなりました。参加者(寄付者・会員)はみずからの価値を高め、自分は価値のある人間だという実感をもてるようになってきます。また、多くの市民をNPOの課題にむすびつけ、課題解決の参加者とすることができるのでネットワークもさらに強化されます。市民参加こそ課題解決のための一番の近道であり、活動に参加する人々を増やしてこそ時代の変革が可能になります。

 ファンドレイジングを通して問題を解決していくときに、その具体的手法を提示するので、参加者それぞれがそれを学びつかえるようになります。これは支援者が現地事業の主体(主役)になるということであり、こうしてNPOの活動を寄付者の活動にし、NPOの成功を寄付者の成功にすることができ、NPO活動の本質が強化されました。

 ファンドレイジングの実践は、NPOの活動を通して、社会と一般市民をより深くつなげ、一般市民をNPOが提示する問題を解決するための参加者にしてしまうというものであり、人々と社会をむすびつける方法として位置づけられます。これにより、NPOが市民の身近な存在になり、NPOの活動を市民が理解し、NPOは市民に信頼してもらえるようになります。人と社会とのかかわりを強めることは、社会問題への人々の意識が高まることになり、ひいてはNPOと市民が協力し、一体になって社会を変革するパワーを生み出していくことにつながります。市民に変革の力になってもらい、NGOに参加する市民が増えれば、いずれ社会の変革が可能になります。人も社会もともに変革していくということです。

ビジョンと方法(解決策)をしめす

 このような観点にたって、わたしたちがすすめている「生活林」プロジェクトの目標を以下の様にしめしました。

  1. ヒマラヤ植樹100万本(植林をすすめ、4年後の2014年に達成する)
  2. ヒマラヤの自然環境を保全する。
  3. 森林資源を有効に活用しながら住民の生活を改善し、環境調和型の社会をつくる。

 このように、自然環境を保全しながら住民の生活改善をすすめることを目的として、苗畑の苗木育成能力を向上させ、また あらたに苗畑を建設して、住民の主体的参加により植林地への植樹をおこないます。そして、森林資源を利用して住民の収入向上計画にもとりくみ、環境と調和した地域の活性化をすすめ、自然と人間の共生をめざします。簡単にいえば、生活林という方法(解決策)をつかって、自然と人間の共生というビジョンを実現しようということです。

 こうして、寄付をお願いするのではなく、ビジョンと方法(解決策)をはっきりしめしました。そして、問題が解決してほしいと願っている人(寄付者)を見つけ出し、わたしたちの持つ方法が、その人の願いを実現するために役立つことを理解してもらえるようにしました。その人の願い(ビジョン)を実現するために、わたしたちのやり方がその人の情熱をかけるに足るものであることを実感してもらえるように努力しました。

4. 山岳エコロジースクールを開催する

百聞は一見にしかず、国際協力の現場へ

 わたしたちは、「山岳エコロジースクール」(エコツアー)を毎年開催しています。これは、ネパールの事業地を日本人が実際に訪問し、山岳の環境保全活動を体験するプログラムであり、現地で進行している事業と一体になって開催されるのが特色です。要点はつぎの通りです。

  1. 世界の屋根・ヒマラヤをトレッキングして大自然を体感する。その美しくもダイナミックな峰々の雄姿はひとりひとりの感動体験を実現する。
  2. ヒマラヤのふもと、ネパールの のどかな山村でホームステイをし、心やさしい村人たちと生活しながら交流する。ヒマラヤで暮らす人々との出会いは、生涯わすれられない思い出になる。
  3. 現地の森林保全事業に参加、村人とともに植樹をする。自然の中で暮らすための知恵や技術をまなび、環境保全と国際協力についてかんがえる。わたしたち日本人の暮らしを問い直すことができる。
  4. 近代化と人口増加の影響で環境が破壊され、伝統文化が衰退、本来は豊かであったヒマラヤの人々の暮らしは危機的状況になっている。村人たちが直面する問題に触れ、同じ地球人としてわたしたちに何ができるか共にかんがえる。

 特に、フィールドワークの実践に焦点をあて、異なる自然・文化・社会の中につかり、日本からでは見えにくい現地の様子を、自分の目で確かめ、心で感じ、様々なことをかんがえる貴重な時間をつくりだしています。参加者は、一生の思い出となるすばらしい体験をするようで、帰国後も他の参加者と連絡を取り合い交流し、またネパールをおとずれ、ネパールに何らかのお手伝いができればとおもう人が多くなります。

多様な自然環境と様々な民族に出会う

 ネパール・ヒマラヤは、標高約60mの低地から世界最高峰エベレストの8848mまでの世界最大の高度差をもつ地域であり、この大きな標高差が実に多様な自然環境を生みだしています。ヒマラヤ山脈は北上するにつれて標高は高くなり、気温は低くなります。ネパールで標高がもっとも低いタライ平原の年平均気温が摂氏25度の年に、チベット系の人たちの暮らす標高4000メートルの高地では7.4度となります。これを日本におきかえてみると、前者の年平均気温は那覇、後者のそれは札幌の値に対応します。タライから高地までの水平距離は200キロメートルほどですから、大阪から名古屋ほどの距離の間に日本列島全体の気温差が存在することになります。さらに、ヒマラヤの最高地は8000メートル以上になり、その気温は北極に相当します。つまり、ネパール・ヒマラヤには、沖縄から北極までの気温差がつめこまれているということになります。したがって、ネパールを南北にあるいて縦断すると、そこでは、亜熱帯から温帯、冷温帯、寒帯、さらに氷雪帯までのさまざまな自然環境に遭遇し、実に多種多様な自然を見ることができます。このようにネパールは、国土が小さいわりには、著しく変化に富む自然環境をもち、多様な自然が存在する特異な地域といえ、世界にまれに見る「自然環境(地球環境)の模式地(もしきち)」となっています。

 自然環境は、まず空間的にとらえ、次に時間的に分析し、そして自然史を総合的に想像するというステップをふむとよく理解できます。また、自然環境こそが、その地域の基本的な枠組みあるいは土台をつくりあげており、その枠組みを決めるもっとも基本的な要素は地形です。

 ネパールでは、せまい国土の中に実に多様な自然がつめこまれているので、山岳エコロジースクールの観点に立つと、比較的みじかい期間の中で効率よく自然環境の多様性を観察できるということになります。つまりネパールは、自然を勉強するフィールドとして世界でもまれにみるすぐれた場所といえます。

 わたしたちの活動地域は、西ネパールのカリガンダキ川流域にひろがっています。この大河は、ヒマラヤを南北に切ってながれているので、わたしたちの活動地域においても、この川にそって南北にあるけば、実に多様な自然環境と、そこでくらす様々な民族に出会うことができます。このようなことを知って活動地域を訪問すれば、自然や民族に関する理解を一気にすすめることができ、自然と人間がつくりだす多様な世界を実感することができるのです。

 このヒマラヤの自然環境を理解するためには標高と植物の関係にまず注目するのがよいです。標高と植生には見事な対応関係があり、次のようにまとめられます。

  • 5500m以上:雪氷帯(氷河があり、植物はそだたない)
  • 3800~5500m:高山帯(樹木は無く、低木、草、高山植物など)
  • 3000~3800m:亜高山帯(シャクナゲ、モミ属針葉樹、ズダヤクシュなど)
  • 1000~3000m:照葉樹林帯(ツバキなど葉がテカテカ光る樹木に代表される)
  • 60~1000m:落葉広葉樹林帯(暑さと乾燥のため、乾季に葉を落とす樹木に代表される)

 山岳エコロジースクールにおいては、ポカラでは落葉広葉樹林帯を、トレッキング中のプンヒルでは亜高山帯を、それ以外の場所では照葉樹林帯を直接観察することができます。また、プンヒルやナルチャンでは高山帯~氷雪帯を比較的間近で見ることができます。したがって、落葉広葉樹林帯~氷雪帯までの多様な自然環境を比較的短期間で見わたすことができるわけで、このような効率のよい自然環境体験はほかのツアーでは決して得られません。

 山岳エコロジースクールでホームステイをする村の環境は照葉樹林帯に属し、多くの人々が日本の自然環境(景色)と似ていることに気がつきます。それは植生が似ているからです。実は、照葉樹林帯はヒマラヤ中間山地から中国をへて西日本までつらなる非常に大きな植生帯であり、この地帯では「照葉樹林文化」とよばれる独自の文化が花開らいています。

 したがってスクールでは、まず、ヒマラヤの多様な自然環境を大観でき、次に、照葉樹林文化に接することにより、ヒマラヤを理解するだけでなく日本の照葉樹林をとらえなおすこともできます。このように、ネパール・ヒマラヤは非常にすぐれた「大自然の学校」であり、この地でのエコツーリズムの効果はとても大きいといえます。

 ネパール・ヒマラヤには様々な要素が先鋭的につみこまれて多様性に富む地域となっているため、地理学・地質学・人類学・生態学・気候学・地球物理学などのいわゆる野外科学のメッカともなっており、世界でもっともよく調査・研究されている地域のひとつです。わたしたちはこの点にも注目してこの地域を「大自然の学校」として活用しているのです。ここで言う「大自然」とは人間をふくんだ自然をさし、西洋文明流に自然と人間とを対峙させるのではなく、人間は自然の一部であるという思想にもとづいています。

人々の活動の「舞台」を知る

 このように、ヒマラヤは急峻でダイナミックな地形を持っています。地形は、地域の表面の形態であり、そこで暮らす人々の活動の「舞台」です。それは、地球表面での様々な自然の働きによって形成された生成物としてどこまでもひろがっています。同時に、世界の屋根・ヒマラヤのうつくしい風景の土台となっています。

 ヒマラヤの人々は、このダイナミックな地形にみずからの活動をきざんで暮らしてきました。地形は、そこで暮らす人々をとりかこむ環境のもっとも基礎的な枠組みあるいは基盤となっています。地形を知ることは、環境の保全や創成、土地利用や防災、さらに雄大な風景にひそんでいる自然史を読み解くために最初にしなければならないことです。

 ヒマラヤほど変化に富んだ地形をもつ地域は他にないので、ここでのフィールドワークは特別な体験を生み出すことになります。フィールドワークとは地球の表面をあるいていくことです。このときに重要なことは、どのような地形の中のどこの道をあるいているのか、その軌跡を、地形と道に注目して綿密にとらえることです。地形と道が明確にイメージできるようになるとフィールドワークの体験はとても奥深いものになります。

 発展途上国の現場に入ると、現地の状況に自分をあわせなければならず、環境への適応がもとめられます。現地の状況の展開に応じて自分のストーリーも決まってくるのであって、その逆ではありません。大切なことはみずから地形を読み、すすむべき道を見いだすことです。このような体験は、それがそのまま事業の推進や問題解決のために役立ってきます。多様なフィールドワークさらにアクションリサーチをたくさん経験している人ほど、事業や問題解決を力強くすすめることができます。地形を読み、すすむべき道を見いだすということは、状況を把握し解決策を実行することにほかならないからです。

事業地を「主体-環境系」としてとらえる

 ヒマラヤの事業地は、中心に現地住民がつくる集落があって、その周囲に自然環境がひろがるといった基本構造をもっています。つまり「集落-自然環境」という構造になっています(図1の左図)。集落は、事業地の中心にあってその主体として機能しており、自然環境は地域をささえる土台あるいは枠組みとして存在しています。つまり、事業地の構造はもっとも単純化・抽象化して表現すると主体と環境とから成り立っており、「主体-環境系」とモデル化することができます(図1の右図)。

主体-環境系のモデル
図1 主体-環境系のモデル

 ところで、そもそも環境とは何でしょうか? それは、ひとつの世界から主体をのぞいた のこりすべての部分のことです。たとえば、事業地をひとつの世界とみなした場合、そこから集落をのぞいた部分はすべて環境となります。環境とは主体があってはじめてなりたつ概念です。わたしは主体と環境とをワンセットにし、このような意味でつかっています。「住民主体の環境保全」と言った場合、ひとつの事業地において「主体-環境系」を再生させることをめざしていのです。

 そもそも、いわゆる環境問題とは主体と環境が不調和になり、地域のシステムに矛盾が生まれることにほかなりません。具体的には、主体である人間の作用が大きくなりすぎ、環境に巨大な負荷を与えているのが今日の状況です。主体と環境との間で、物質・エネルギー・情報の流れがうまくいかず、主体と環境との関係がアンバランスになっているということです。

5. 住民参画による問題解決を実現する

参画型アプローチには7つのステップがある

 わたしは、現地事業をすすめる具体的な方法として「参画型アプローチ」を事業地の人々と共に実践してきました。これは次の7ステップからなっていました。

  1. (ステップ1)テーマ設定
  2. (ステップ2)グループ・ディスカッション
  3. (ステップ3)合意形成
  4. (ステップ4)フィールドワーク
  5. (ステップ5)目標設定
  6. (ステップ6)アクションリサーチ
  7. (ステップ7)検証・評価

 この方法は、上記の各ステップの内部で情報処理をくりかえすという仕組みになっています。この結果、事業の効率化、作業時間の短縮、コミュニケーション能力の向上、地域の活性化などの効果があらわれました。

 ステップ1「テーマ設定」では、当事者が協議して事業(プロジェクト)のテーマを決め、問題の中心を明確にしました。

 ステップ2「グループ・ディスカッション」では、当事者がグループをつくってテーマをめぐりディスカッション(討論)をし、多種多様な情報をあつめました。

 ステップ3「合意形成」では、ディスカッションの結果を統合して「この方向にすすんでいこう」と当事者が意思統一をして方針を確定しました。ここではKJ法(図解をつくって情報処理をする技法)を実践しました。

 ステップ4「フィールドワーク」では、事業地の観察をし、また住民から聞き取り調査をおこない、現場情報を収集・記録しました。

 ステップ5「目標設定」では、それまでの結果をふまえて事業(プロジェクト)の構想をねり計画を立案し、目標を明確にしました。

 ステップ6「アクションリサーチ」では、その事業を実際に実施し、同時に、その事業をすすめる行為それ自体から情報をあつめ調査・研究をすすめました。

 ステップ7「検証・評価」では、事業終了時あるいは終了後に、目標が達成されたかどうか、その事業がうまくいったかどうか検証・評価しました。

 この「参画型アプローチ」の実践においては問題解決を一般論としておこなうのではなく、国際協力のために各ステップの意味を自覚して、それらを踏みしめて実施することが大切です。「参画型アプローチ」には問題解決と情報処理という2つの側面があり、前者は事業の時系列的(時間的)側面、後者はその空間的側面をあらわしています。これらはすなわち、国際協力事業にはこのような2つの側面が常に存在するということです。問題解決と情報処理の両者を合理的に統合し、国際協力を実りあるものにするために、問題解決の各ステップを明確にし、それらのステップの中で情報処理をくりかえすという仕組みをつくりあげたのです。

 このような方法をつかってプロジェクトをすすめながら、プロジェクトの先にある、人々をとりまく環境や人々の暮らし、その豊かさ楽しさを見通すことが重要でした。これらのイメージを関係者が共有できたのでプロジェクトは確実にすすみました。

 わたしたちの第一目標は生活基盤となる生活林をつくることでした。ヒマラヤでは、森林にきわめて大きく依存した生活様式(ライフスタイル)が今でものこっているため、中核事業としてすすめた生活林づくりは人々の生活基盤をつくるために必要不可欠となっていました。住民の生活基盤がしっかりしたものになり、その後、防災、農業、保健、衛生、教育などのすべて課題への取り組みが容易になりました。そして、住民の命をまもり、暮らしを改善する道がひらけました。

 そして、プロジェクトの第二目標は環境と調和した地域の活性化をすすめることでした。森林資源を利用した収入向上プログラムや、山岳エコロジースクール(エコツーリズム)はその具体策として実施しました。

 将来の地域の様子をイメージすることはとても重要であり、関係者が、将来の住民の暮らしのシーンをイメージできるようになると、支援者が事業に協力するメリットを実感できることにもなり、日本人とネパール人との距離もグッとちぢまりました。

事業実施と調査研究を一体化させる

 「参画型アプローチ」においてはステップ6に「アクションリサーチ」が位置づけられています。これは国際協力事業の推進において重要な部分をしめます。たとえば事業地で10の課題があったらすべてを解決しようとするのではなく、優先順位の高い課題1つに集中して、そこに労力を集中し徹底的に努力します。このような急所にいどむ方法が「アクションリサーチ」の本質です。急所が解決できたらほかの問題全体の多くは解決できます。

 現地事業をすすめ同時に研究もおこなう「アクションリサーチ」では、現場の情報をいかにすばやく記録し固定化するかが大きな課題になります。この作業がなければ情報はすぐにわすれさられてしまいます。いそがしい日々のなかで行動しながらの作業になるので、できるだけ簡単にできる方法がもとめられます。そこで、現場では「点メモ」(キーワードだけの簡単なメモ)だけをつけておき、あとで宿にかえってから、点メモを見ながら現場の状況を想起して、パソコンをつかって正確な記録をつくるというやり方を採用しています。点メモとは、その体験の目印となるキーワードや場所の名称などであり、一仕事の目印となるものです。点メモのリストを日々つくっていると成果が見えやすくなり、目印リストが増えれば多果となります。今までの経験では、現場そのものではノートに手書きで点メモだけをつけておき、あとでパソコンをつかうという方法がもっとも効率的です。パソコンでは、ワープロのアウトライン機能をつかって、箇条書きで情報をどんどん記述していきます。

 記録を毎日つけ情報を日々あつめて、あらためて事業地をながめなおしてみると、事業地の現状や事業地からのメッセージがよくわかってきます。一つの情報からではわからないことが、多数の情報をならべてみると見えてくるのです。一歩はなれ遠くから見ると未来をしめすベクトルが見えてくることもあります。多くの人々は自分の感情を投影して世の中を見てしまいがちですが、そのような偏見からも自由になれます。

 アクションリサーチを継続していると、実践や体験のなかで個々の情報を位置づけ、その意味をとらえることができ、事業の実践から知識を抽出できるようになります。意味とは実践や体験の枠のなかでつくられるものであり、こうして、事業の目標にむかって情報収集を日々おこない、当事者が記憶や知識を増やしていくことができれば大変よい結果がえられます。

 なお、現場情報の記録にあたっては、その時々のニュース(トピック)をあわせて記録しておくと出来事の想起がしやすくなります。ある事業を実施したときに、どのようなニュース(事件)があったのかをあわせて記録しておくとよいということです。外的ニュースや環境がきっかけになって、その時の状況を詳細におもいだせるということはよくあることです。

 そして、その結果をブログに文章化してあらわし、データベースを構築していきます。これを「ブログ・データベース」といい、わたしは、ブログをデータベースとして作成しています。ブログに文章化することは情報処理の行為におけるアウトプットに相当します。情報処理とは「インプット→プロセシング→アウトプット」の行為であり、ブログへの文章化はアウトプットの場面です。

 アウトプットの前にはインプットとプロセシングが必要です。インプットは、事業地を見る、事業を実施することにより実現されます。プロセシングはインプットされた情報を編集する作業であり、ここでは多種多様な情報を並列させて処理することがポイントです。そしてその結果を統合してブログにアウトプットします。ここではメッセージを明確にすることが重要です。こうして統合された情報は、時間の経過とともに直列的にどんどん蓄積されていき、これは、事業の推進を通して情報の流れをつくりだしていくことにほかなりません。ブログ・データベースの具体的な技術としては、メモをパソコンに箇条書きに入力しておき、そしてその日は一旦寝て、次の日に一気に文章化するという三段階方式を採用すると効率的につくれます。点メモとブログの実践は、日々の事業(アクション)を、情報のプロセシングの場として積極的につかってしまうという方法です。

 ブログ・データベースには写真(画像)も入れられます。言語と画像とは相互補完の関係にあります。言語的な情報(テキスト)と写真(画像)とはデータベースの「車の両輪」であり、相互に補強しあってその後の情報処理を容易にします。テキストは、見出し・本文・日付・場所・情報源(情報提供者)・記録者などを時間軸にしたがって記載されるのに対し、撮影された写真は、まず、画像ソフトをつかって整理します。宿にもどってからあるいは帰国してから、サムネイル表示やスライドショーの機能をつかって写真をみなおすと、おどろくほどありありと現場の様子を思い出し再現することができます。写真を見なおしながらあらたに言語的な記録をとってもよいです。そして、テキストならびに画像は、データベースとしてブログに統合してアウトプットすることができます。検索図解をつくると項目ごとに情報が整理され、また似ている情報の検索が容易になりよりよいです。

 こうした「アクションリサーチ」を実践すると現場の事実がおさえられ、結果として認識をあらたにすることになってきます。

 このような日々のプロセスを充実させるにはテーマと目標をあらかじめ明確にしておくことが必要です。テーマと目標を決めて、何がしたいのか、何をするのか、何をどうするのか、どこまでするのかを明確にします。これには使命感が必要であり、それと連動させて問題解決の流れを一貫させます。一貫した流れがあれば、目前の現場作業や雑用におわれることなく事業が長期的に充実してきます。

人々をとりまく全体を把握する

 「アクションリサーチ」では現場をよく観察します。観察とはものを見ることであり、それは二つの段階からなっています。第一は肉眼の目で見ることであり、その能力は視力といいます。第二は、視力によって得られた情報をもとにものごとを判断することであり、その能力は情報処理能力といえます。視力と情報処理能力があわさって「眼力」が成立し、これが観察をささえる基本的な能力となります。

 ところで、実際に事業地へ行って観察をしてみると、肉眼の目で見える部分は非常にかぎられていることに気づかされます。そこで、実際に見える対象のうしろ側や下方はどうなっているのか、あるいはこれまでの経緯はどうであったのかなどを想像することになります。この想像という作業が観察にくわわると対象が的確にとらえられるようになってきます。

 こうして観察は、肉眼の目で見ることから、情報処理、そして想像へとすすみ、ものごとや現象の本質をとらえることにつながっていきます。このような本質をとらえる能力は慧眼ともよべ、このように、観察する能力は眼力から慧眼へとすすんでいきます。これらは、「アクションリサーチ」をすすめるうえでもっとも基礎的な能力として重要です。

 そして、本当に事業を着実にすすめるためには、人々の背後にあるもっと大きな外界を見渡さなければなりません。それは、自然環境であったり地域の伝統などです。このような地理的空間と歴史を見渡すためには、人間の背後の世界に意識をもっていき、想像力をはたらかせる必要があります。自分だけにとらわれることなく、また、対象を見るだけでもなく、その背後にあるもっと大きな世界の全体を把握することこそ、事業地の本質を洞察するための最高の方法であるといえます。

 こうして、「参画型アプローチ」を現地の人々ともに実践して膨大かつ多様な情報を統合・総合する行為は、多様性にみちあふれたヒマラヤやネパールをふかく理解することにつながってきます。ネパールはその多様性に注目した場合、情報量が非常に多くとてもおもしろい国です。せまい国土にたくさんの様々な情報がつめこまれているという観点にたてば、ネパールはとてもゆたかな国だといえます。

 このように、「参画型アプローチ」の実践を通して情報を統合していく行為は、もっと大きなフィールドにおいても、多様性を総合しそれを理解することに発展していきます。