思索の旅 第6号
神代植物公園

> 神代植物公園(東京都調布市)

<目 次>
独自のスタイルを確立して、はやく作品にする
大群全体と個々のうごきが同時にみえる -アリ-
空間を利用して情報を処理する
独創は、常識からすこしはずれたところにある
心の中のイメージを一気に言語化する
経験則をしめして定量的に検証する -コーヒーの入れ方-
フィールドワークと推理法をむすびつける

独自のスタイルを確立して、はやく作品にする

 さだまさし作曲『オーロラ』は、アラスカで死亡した写真家の話をきいてすぐに作曲したという(THEテレビスペシャル/日本テレビ)。
 ここで「すぐに」というところが重要である。何かがひらめいたとき、間があいてしまうとダメである。ただし、すぐに作品化するためにはそのための技術や能力がいる。
 創作活動には、すぐに作品化する場合とじっくり時間をかけてとりくむ場合とがあるだろう。両者で心のつかいかた(情報処理の仕方)はちがうはずであり、あたえられた時間内で何ができるか、どのようにやればよいかをきめなければならない。
 さだまさしの音楽は、せりふとバックミュージックといったスタイルである。さだまさしは、彼独自のトーンあるいは文法・言語によってつぎつぎに作品をうみだしている。このように、自分の独自なスタイルを確立しておくことは、つぎつぎに作品をうみだすために必要なことだろう。(040605)

大群全体と個々のうごきが同時にみえる -アリ-

 神代植物公園をあるいていたらアリの大群がいた。とてもおおきな大群で、巣穴の周辺を移動しており、この大群自体がまるで一つの大きな生物であるかのようだ。
 しばらく大群のうごきをみていたら、今度は、大群のなかにいる一匹一匹のたくさんのアリのうごきのそれぞれが同時にみえてきた。一匹一匹のたくさんのアリはそれぞれ別々のうごきをしている。
 アリの大群(集団全体)はまるで一つの大きな生き物であるかのようにみえた。しかし、中心視野だけでなく視野をひろげて周辺視野までもつかってみると、たくさんのアリ一匹一匹は別々のうごきをしていることがよくみえる。
 大群としてみるのは大局的な視点、一匹一匹をみるのは局所的な視点である。ここで重要なことは、大局と局所とを別々にみてあとで合成するのではなく、視野をひろげて周辺視野もつかってまるごと大きくみると、大局と局所が同時にみえてくるということである。大局と局所が同時にみえると、アリの一匹一匹だけが生命なのではなく、大群全体も一つの大きな生命なのだということが感じられてくる。(040605)

空間を利用して情報を処理する

 川喜田二郎著作集3『野外科学の思想と方法』には、取材とその記録の方法の進歩の過程が記載されている。最終的には、「点メモ→探検ネットあるいは点メモ花火→データカード」におちついた。「探検ネットをつくっておくと楽に文章化できる」という。
 しかし、当時はパソコンがなかったので、この方法はパソコンを使用していない。すくなくとも個人作業の場合、パソコンのワープロをつかえば、前後のいれかえや挿入・削除が自由にでき、探検ネットをつくらなくても楽に文章化ができる。状況によっては点メモさえも省略でき、キーワードをまず入力しておき、あとで文章化することも簡単である。つまりワープロの出現によって文章の作成や編集は格段にやりやすくなり、個人作業にかぎっていえば、探検ネットはかならずしも必要なくなった。
 探検ネットは、パソコン以前の時代において、単語や単文のいれかえや挿入や削除といった現在のパソコンではあたりまえの作業を、紙の上で実現した工夫のたまものであったのである。
 実際には、紙からパソコンの時代になっても、文章化や情報処理の「原理」はかわっておらず、情報化の潮流はパソコン以前にすでにはじまっていた。情報化に気がついていた一部の先駆的人類の著作は、このような情報化の歴史という観点からとらえなおすしてみると大変おもしろい。
 その「原理」とは、空間をうまく利用して情報を処理することである。情報は、空間を前後左右上下と自由に移動しながらしかるべき場所におちつく。この「空間情報処理」の原理をつかってまず情報を整理しておき、そのあとで時系列的につらなる文章、文法によって統合された文章をかきだしていく(出力していく)と、効率的に質の高い文章をかくことが可能になる。今後は、この原理をふまえて技術革新をさらにすすめる姿勢が必要である。
 なお、探検ネットはチームワークの方法としては現在でも非常に有効である。(040607)

独創は、常識からすこしはずれたところにある

 独創は、常識から少しはずれたところにあるようだ。そのはずれは少しであり、大規模なはずれではないらしい。独創のためには、常識や様々な世の中の知識について あらかじめかなり まなんでいなければならないが、まなびつつも常識の固定観念にとらわれないという むずかしいことをやらなければならない。
 湯川秀樹博士は「創造者は知識をまなびつつ、一方でまなんだ知識から自由になるという一見矛盾したことをしなければならない」とのべ、西沢潤一博士は「独創的な人間は2番手にいるんです」とのべていた。
 たとえば、ペーパーテストの点数が一番の人は、学校がおしえる常識的知識で頭が一杯になっている。しかし、よく勉強はしているが少しだけ はずれたところにいる人には、知識もあるが余裕もあるという状態になっている。そのような人のなかから独創がでてくるということだろう。(040608)

心の中のイメージを一気に言語化する

 日誌や報告書にかぎらず、文章をかくときは本や書類をなるべくみないで、心の中にあるイメージを高速で言語化するようにするのがよい。そして いったん出力(文章化)がおわった後で、チェック・修正のために本や書類・インターネットなどをみなおす。
 文章化している最中に疑問点があると、すぐその場で本や書類などをみたくなる。そしてそこから文章をうつしたくなる(コピーしたくなる)。そこをがまんして、あくまでも心の中から出力するのが訓練である。この訓練を毎日つみかさねないかぎり速書能力は身につかない。速書能力が身につかないと、たくさんの資料をあたりにならべてくるしむことになる。
 けっきょく、情報処理システムにおける入力・処理・出力の3ステップを自覚・制御し、仕事のなかで意識的にこのような訓練をつづけていくのがよい。本や書類は、入力の段階で集中的に一気によみ、その後は、出力の後半でチェック・校正のために再度みなおすといったつかいかたをするのがよい。(040609)

経験則をしめして定量的に検証する -コーヒーの入れ方-

 ためしてガッテン「コーヒーの入れ方の定理」(NHK)をみる。
 「ドリッパーへいれるコーヒーの粉は1杯/1人、1.8杯/2人・・・、4杯/5人、1杯は10グラム。お湯は90℃がよい。沸騰させてからきゅうすなどにそそぐ。1湯目は、中心から周辺へそそぎ、粉がふっくらとふくらむようにする。30秒間おく。2湯目以後は連続的にそそぎ、そそぎかたはだんだんと加速する。4投目・5投目ぐらいまでくると、すこしお湯がのこっている状態で次々とそそぐ。そそぐとき、1湯目のふくらんだたかさまでお湯をそそぐ。そそぎすぎないように注意する。コーヒーの粉が古くて細かくい場合ほどお湯を速くそそぐようにする。
 コーヒーのにがみには善玉と悪玉がある。善玉は小さなおこげであり、悪玉は大きなおこげである。悪玉があると下にのこりまずく感じる。善玉だけをおとすようにすると、コクとキレのあるコーヒー『コーキー』になる」。
 重要なことは、長年の経験からくる経験則と定量的な分析による検証をしっかりと多くの人に みせることである。結果だけをしめしても人々は納得しない。経験則をしめし、定量的な検証をすることが、技術を効率よく普及するために必要である。(040609)

フィールドワークと推理法をむすびつける

 チベットの映像をみていたら、フィールドワークと思考法(仮説法・演繹法・帰納法)の図をおもいつく。問題(課題)を原点にして、フィールドワークと思考の軸が60度にひらく。あれこれとかんがえたのち思考は判断とすればよく、仮説法・演繹法・帰納法は推理法とすればよいことがわかる。
 フィールドワークや思考の出発点にはかならず「問題」がある。何事も、問題の発生あるいは問題(課題)の設定からはじまり、この「問題提起」をふまえてデータ(情報)収集のためのフィールドワークがはじまる。  現場である程度データがあつまると、そのデータにもとづいて何らかの仮説を提案(発想)する。この仮説提案の過程を「仮説法」とよんでおく。この第一の推理により第一の判断にいたることができる。
 つぎに、提案された仮説がただしいと仮定したならば、こうゆう事実が現場で発見されるはずであるという第2の推理ができる。この一般的な仮定から個別の事実を推理する方法は「演繹法」とよばれる。
 そして現場に再度いってみて、予想された事実が本当であるかどうかをたしかめる。もしたしかめられれば仮説の蓋然性(確実性)は高まることになる。予想に反する事実が発見されれば、仮説がまちがっていたことになり、仮説の提案からやりなおさなければならない。このような「演繹法」と現場での検証は1回きりでおわらせる必要はなく、何回もおこない、できるだけ多数の事実(証拠)をあつめるべきである。仮説を支持する証拠がたくさんみつかれば仮説の蓋然性はそれだけ高まる。
 このような仮説を検証する作業は「実験」とよばれることもある。したがって、実験にさきだつ「演繹」は「思考実験」とよんでもよい。
 そして、実験によりデータが大量にあつまったら、今度は、それらのデータから一般的な傾向あるいは原理や法則をみちびきだす。これが「帰納法」である。一般的な原理や法則をみちびきだすためには統計的手法が有効なことが多い。これにより最終的な判断にいたることができる。
 以上により、現場のデータにもとづいて何らかの判断をするためには、フィールドワークと判断とのあいだを往復しながら「仮説法」「演繹法」「帰納法」とう3つの推理法を段階的に順次つかっていくのが有効であることがわかる。またこのモデルが、「仮説法」と「帰納法」とはどこが ことなるのかというよくある疑問に対する1つの回答をあたえる。「仮説法」と「帰納法」とは にているが、問題を解決していくうえで活用する段階が第一にことなるのである。
 またこのようにみてくると、フィールドワークの方法にも段階によって2種類あることがわかる。1つは仮説を発想するためのデータ収集の段階であり、もうひとつはその仮説をたしかめるための証拠あつめの段階である。前者では、問題意識だけをもって現場をすなおに観察する方法がもとめられ、後者では、仮説を検証するための実験の方法が必要になる。簡単に、前者を「現場観察」、後者を「実験」とよんでもよい。
 上記の3つの推理法はすでによくしられたものであるが、今回は、推理法をフィールドワークとの関係においてとらえなおしモデル化した。このようなモデルをもつことにより、よりたしかな判断にいたり問題を解決していくための見通しをつかみやすくなる。
 なお、このような方法は学術的な分野でつかわれることが多いが、推理小説においても同様な方法がもちいられている。 (040612)

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2004年12月15日発行
(C) 2004 田野倉達弘