思索の旅 第5号
国立西洋美術館

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<目 次>
場の中で要素をとらえる -古代ローマ彫刻展-
発明は、遊び心と社会の要求から生まれる
見出し写真は情報想起を容易にする
アルプスは大自然紀行をえがける場所である
シュリーマンはトロイの夢を実現した
主体性と環境性がたえず働いている
ネパールの山村でワイヤレスネットワークの構築がすすむ
仮説法と演繹法をくみあわせる
地質学と地球物理学が結合して成果があがった
情報の管理・共有・創造は21世紀のキーワードである
KJ法のグループワークはチーム内に共鳴をうみだす

場の中で要素をとらえる -古代ローマ彫刻展-

 「ヴァチカン美術館所蔵 古代ローマ彫刻展」(国立西洋美術館)をみる。
 ヴァチカンはローマ教皇がおさめる小さな独立国で、面積0.44平方キロメートル(上野公園は0.53平方キロメートル)、人口は813人(2000年4月)である。
 会場では、ローマ帝国の繁栄とその終焉という時代のうつりかわりを通して、現世での自己の存在の誇示から、祈りや心の抽象的な表現へと変化した彫刻の歴史をはっきりみてとれる。
 彫刻は絵画とはちがい、さまざまな角度からみることにより、対象を立体的にとらえることができる。また、彫刻が展示されている場所は、建物(美術館)の大きな空間の中のポイントを形成している。美術館という場の中で彫刻は要素として機能し、場と要素とは共鳴してみごとな立体空間をつくりあげる。全体的な場の中で要素をとらえるとその存在の意味もあきらかになってくる。美術館の建物と彫刻は空間記憶法の実践の場としても適している。
 なお、彫刻とちがい絵画は平面的ではあるが、彫刻よりも想像をはたらかせやすい。色彩や構図もはるかにゆたかであり、情報量は彫刻よりも圧倒的に多い。(040528)

発明は、遊び心と社会の要求から生まれる

 「世界の大発明」(日本テレビ)をみる。ポストイット、衝撃吸収マット、局面印刷、小銭計算機などが順次紹介されていく。発明は遊び心から生まれる。大金持ちの息子が大発明を結構やっている。苦労人からは発明はうまれない。まじめすぎる人からも発明はうまれない。
 あとは、社会のニーズにこたえ、社会の役にたつことをやることだ。その人の遊び心とその人をとりまく社会からの要求とがみごとにシンクロナイズしたときに大発明が生じる。
 学者のかいた書物にもまじめすぎるものが多い。あまりにも真面目に枠組みががっちりとくみたれられていると、かたくなりすぎてしまい「遊び」がなくなる。「遊び」には自由とか余裕とかいう意味もある。
 学者のまじめな研究だけでは世の中はかわならい。実践が必要である。しかし、その実践には「遊び」が必要である。そうでないと「発明」が生じず、本当に社会に貢献することはできないのだから。(040529)

見出し写真は情報想起を容易にする

 過去におとずれた場所で撮影した多数の写真のなかから、それぞれの場所ごとに、あるいは日付ごとに印象にのこった写真を1枚えらびだし、それを「見出し写真」(目印写真)にしてファイルしておくとよい。わたしのウェブサイトには、それぞれのサイトに「見出し写真」をつけている。パソコンのフォルダのアイコンを「見出し写真」にかえてもよい。そして「見出し写真」を集積した「見出し写真集」をつくっておく。
 1枚の「見出し写真」をみることにより、その場所の全体像やその内容を簡単に想起ことがきる。想起とは、自分の心(記憶の倉庫)から情報を検索することである。これは、言語で想起するのとはちがうもうひとつの方法である。従来の言語的な想起にくわえて、このような写真(イメージ)で想起する回路もつくっておくと、情報処理の効率は格段にあがる。(040529)

アルプスは大自然紀行をえがける場所である

 世界大自然紀行「アルプス」(NHK/再放送)をみる。マッターホルンから山々がつらなり、観光客を魅了する。
 枕状溶岩・石灰岩・アンモナイトが出現し、ここはむかし海底であったことをおしえてくれる。2億年前にヨーロッパ大陸とアフリカ大陸とが衝突し、海底がもりあがってアルプス山脈ができた。
 ここは、1786年のモンブラン初登頂のときからスポーツ登山のメッカである。広大な氷河のながれは迷子石をはこんでくる。牧畜がさかんでチーズやワインもつくっている。
 生き物たちの楽園でもあり、グランパラティーゾ国立公園にはマーモット・イヌワシ・シャモア(カモシカ)・アイベックスなどが棲息する。アイベックスは一時激減したが2万5千頭まで復活した。イヌワシのワカドリ2羽をはなして野生でふやそうという10カ国 20以上の動物園が協力プロジェクトをすすめている。
 気球大会もさかんである。気球にのれば、ユングフラウ、アイガー(北壁で名高い)、メンゲ、アレッチ氷河、フィンスターアールホルン、マッターホルン(4477m)などの雄大なながめをたのしむことができる。(040530)

シュリーマンはトロイの夢を実現した

 世界遺産「トロイの古代遺跡」(トルコ)(TBS)をみる。ハインリッヒ=シュリーマンは、「トロイの木馬」により陥落したとされる「トロイ」(詩人ホメロスの叙事詩)は真実だと信じて発掘をつづけ、1873年にトロイ遺跡を発見した。
 シュリーマンは少年時代の夢をおいつづけ、職を転々とするが実業家として成功し、その後は発掘に専念した。トロイ発掘後はミケーネ(ギリシャ)の発掘をおこなった。
 しかしその後の調査により、時代のことなる遺構が層をなしてかさなっていることや、王の黄金は実は1000年もふるいものであることが、土器で年代を特定することによりあきらかになった。
 この地は、ダーダネルス海峡の交通の要衝に位置しており、ながい時代にわたって城がきづかれており、シュリーマンの発掘現場がトロイであるかどうかはいまだに決着がついていない。
 しかし、シュリーマンが発掘にかけた情熱はすばらしいものであり、その後の考古学の発展に大きく寄与した。1998年、トロイの古代遺跡は世界遺産に登録された。(040530)

主体性と環境性がたえず働いている

 勉強や仕事をするうえで「主体性」が必要だとよくいわれる。この主体性とはそもそもどのようなものだろうか。主体とは中心ということであり、中心がある以上それには周辺が存在する。この周辺のことは「環境」といってもよい。つまり主体とは環境とセットにしてとらえるべき概念であり、主体と環境とがつくりだす全体的な体系をひとまとまりにしてつかまなければならない。この体系は「主体=環境系」とよぶことができる。
 この「主体=環境系」において主体は環境にたいしてたえず作用をあたえている。たとえば、ある個人を主体とみた場合、その人はみずからの判断にもとづいて、周囲に対して発言をしたり、うったえかけをしたり、行動にでたりする。この主体が環境にあたえる作用「主体→環境」こそが「主体性」である。したがって、周囲に対して積極的にはたらきかけをおこなっている人のことを主体性のある人だというのである。逆に、周囲に対して何もしない人は主体性のない人だといわれる。
 このような主体性は、環境の変化に対する反応としてあらわれることが多いだろう。たとえば、周囲の誰かが発言したとき、それに対して反論をのべたりする。したがって主体性の一方では、たえず環境から主体への作用もおこっている。この「環境→主体」の作用は「主体性」に対して「環境性」とよぶことができる。受け身で「主体性」のよわい人は「環境性」の方がつよいということになる。
 つまり、「主体=環境系」においては、「主体性」と「環境性」がたえずはたらいているのであり、この作用によって一つの体系あるいは場が成立しているのである。このような観点にたって、自分と自分をとりまく環境をよくみて、自分の「主体性」と周囲からの「環境性」についてとらえなおし、主体性を発揮しながら生きていくことが大切である。(040531)

ネパールの山村でワイヤレスネットワークの構築がすすむ

 ネパール人の友人であるマハビール=プンさんが、ネパール王国ミャグディ郡ですすめているインターネット・プロジェクトのことがBBCのホームページで紹介された。マハビール=プンさんは、出身地であるナンギ村の学校をセンターにして、そばの村々をワイヤレス・インターネットでむすび、情報伝達のみならず、インターネットを活用した教育をすすめようとしている。高度情報化の時代に入り、ネパールの山村でもこのようなことができるようになってきた。発展途上国の山奥の情報化は今後どのように世界をかえていくのだろうか。今後とも大いに注目していきたい。(040531)

 > BBCのサイト
 > ナンギ村の学校のサイト

仮説法と演繹法をくみあわせる

 「事実→前提→仮説」とすすむのが「仮説法」である。つまり、現場で観察し事実(データ)をまずつかみ、その事実の背後にある前提となる条件をふまえて、ある仮説を発想する。
 そして、仮説が発想されるとこんどは、前提条件をふまえて、その仮説が正しいと仮定したならばどのような事実が現場において存在するかを推論する。推論された結果がただしいことを現場の事実として確認されれば、発想された仮説のたしからしさは高くなる。この「前提→仮説→事実」とすすむ過程は「演繹法」とよばれるものである。つまり、仮説は演繹法をくりかえすことによってその蓋然性がしだいに強化される。
 「仮説法」ではまず観察があり、つぎに思考があるのに対し、「演繹法」ではまず思考があり、つぎに観察をおこなう。
 ところで、これらの方法のほかに「帰納法」とよばれる方法がある。これは、「仮説→事実→前提」とすすむ方法である。つまり、何らかの仮説にもとづいて、現場で事実(データ)を大量にあつめ前提を推論する。この前提とは現象の背後にある大きな傾向とか原理であり、自然科学では法則とよばれるものである。法則を抽出するためには統計的手法をもちいることが多い。
 この「帰納法」は物理学や化学など、実験により大量のデータをあつめることができる分野では非常に有効である。しかし、生物学や地球科学、その他の実験がむずかしい分野、現場の複雑な生の情報をあつかう分野では役立たないことが多い。地球環境問題などの混沌とした問題にも適応することがむずかしい。
 そこで、「仮説法」と「演繹法」をくみあわせた方法が登場してくるのである。(040601)

地質学と地球物理学が結合して成果があがった

 地質学は現場での観察をつみかさねる方式で研究をすすめる。それに対して地球物理学は自然の原理や法則を前提にして思考する方式をとってきた。地球には、力学や熱力学・電磁気学などの諸法則が作用していることはいうまでもない。
 20世紀の後半になってプレートテクトニクス説が登場し、地質学の根本問題であった造山運動について基本的な理解が可能になった。造山運動がなぜおこるかという問題は元来は地質学の問題であったが、実は、この問題を解決する道をきりひらいたのは地球物理学であった。
 地球物理学は、現場で観察される各種のデータをまず整理し、つぎに自然の原理や法則をふまえ、それを前提として仮説を提案する。仮説は「モデル」といってもよい。造山運動がなぜおこるかという問題は、このようにして提案された「プレートテクトニクス説」により基本的に説明できる。
 いったん仮説あるいはモデルが提案されると、この仮説(モデル)がただしいと仮定すれば、野外(現場)でこういう事実が観察されるはずであるという推理ができる。つまり、「自然の原理(前提)→仮説(モデル)→事実を予測」という演繹法の思考をくりかえしおこなうことができる。そして、フィールドワークや野外観測を実際におこない予測されたことが本当に事実であることが確認される。この段階にいたって地質学の現場データはきわめて有効なものとして重要な役割を果たす。こうして、プレートテクトニクス説の蓋然性は非常に高まり、造山運動がなぜおこるかという問題が解明された。
 このように、造山運動の問題は、ふるくからそれにとりくんできた地質学だけでは決して解明されなかったのであり、地球物理学と地質学との結合によってはじめて可能になった。地質学の「現場観察」のつみあげだけでは現象の全体像や本質はわからない。しかし、地球物理学の「演繹法」だけでも研究はすすまない。ここに「仮説法」と「演繹法」とをくみあわせることの意義をみいだすことができる。現象の背後にある自然の原理に関するふかい理解、現場データにもとづく仮説の発想、仮説にしたがって現場で事実を確認・検証する作業のそれぞれが地球の科学の進歩にとって必要なのである。(040602)

情報の管理・共有・創造は21世紀のキーワードである

 マイクロソフトの「オフィス2004」(マッキントッシュ版)は、「情報の管理・共有・創造」という3要素にフォーカスをあわせて開発されたという。
 具体的には、「情報の管理」とはデータベースを、「情報の共有」とはネットワークを構築することであり、「情報の創造」とは成果をうみだすことである。これらは、情報の入力(インプット)、情報の処理(プロセッシング)、情報の出力(アウトプット)のそれぞれを強化することにほかならない。
 つまり、「オフィス2004」の3要素は、「入力」→「処理」→「出力」という「情報処理システム」の基本にフォーカスをあわせているということであり、「情報の管理・共有・創造」は単なる商品のキャッチコピーではなく、21世紀のキーワードといってよい。
 21世紀はまさに「情報の管理・共有・創造」の時代であり、「情報の管理→情報の共有→情報の創造」という情報のながれ、情報処理にそって、チームワークなどをいかに効率よく創造的におこなうかが重要なポイントになってくる。このような観点にたって「オフィス2004」を有効に活用していきたいものである。(040603)

KJ法のグループワークはチーム内に共鳴をうみだす

 KJ法の技術開発は、チームワークやグループ作業の研修や実践を通しておこなわれた側面がつよい。具体的には「移動大学」と企業研修においてつかいやすいように開発されてきた。
 チームワークでは、「探検ネット(パルス討論)→多段ピックアップ→グループKJ法→衆目評価法」を基本とする。移動大学での状況把握ラウンドでは、「観察・面接→点メモ→データカード→データバンク→KJ法個人作業」をおこなう。移動大学には個人作業もあるがそれは手分けをしているにすぎず、基本的にはチームワークである。また「花火日報」も元来は、移動大学のチーム内での情報共有を目的として毎日おこなわれた方法である。データカードのフォーマットも情報共有を目的としている。このような技術により、チーム内に共鳴が生じてチームワークはいちじるしく進展することがわかり、KJ法ブームがまきおこった。
 しかし、チームワークやグループ作業の技術をそのまま個人作業に適用することには無理があった。個人でおこなう場合には省略できる部分がたくさんある。データカードのフォーマットなどはその例である。研究論文などの執筆においてはデータベースの構築と利用が重要だ。 (040604)

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2004年10月31日発行
(C) 2004 田野倉達弘