思索の旅 第4号
恵比寿ガーデンプレイス

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<目 次>
現地人の目、外国人の目 -映画「アフガン零年」-
現実をえがきながら抽象化する
文字と画像をくみあわせる -高野山の曼荼羅-
情報処理がフィールドと問題解決をむすびつける
仮説法の好例をみる -全球凍結説-
思考実験をしてインターネット・セキュリティを強化する
人類・自然環境・技術のそれぞれについて情報を整理する
歴史の名著で歴史をなまぶ
保険を掛けないときに事故に遭遇する
主体=環境系モデルと問題解決モデルは不二のモデルである
問題意識をにつめれば情報は自然にあつまる

現地人の目、外国人の目 -映画「アフガン零年」-

 お香をうる少年がうつしだされている。その少年に誰かがお金をあたえる。撮影させてもらったお礼である。
 しかし物語は、主人公の少女オサマの目を通してすすんでいく。オサマの悲しみや苦しみがヒシヒシとつたわってくる。そして、裁判になる。
 恵比須ガーデンプレイス・東京都写真美術館で、映画「アフガン零年」(セディク=バルマク監督)をみる。この映画は、アフガニスタンの悲惨な現状と男女の差別をえがいている。
 裁判では、アフガニスタンに滞在していた外国人もさばかれる。外国人がもっていたビデオカメラをのぞいてみると、物語冒頭の少年の映像がうつっているではないか。ここで、わたしたちはハッとさせられる。このビデオカメラのレンズを通してみた映像は、外からきた外国人の立場からみたものであった。ビデオカメラの「レンズの目」は外から現地をみた外国人の目である。
 現地で苦しむ人々がいる一方で、現地人にお金をあたえてビデオ撮影をする外国人がいる。この映画には2つの矛盾する「目」が存在するのである。少女「オサマの目」とともに、この「レンズの目」をみのがしてはならない。
 わたしたち外国人は、この映画を通して外国人の目でアフガニスタンをみている。つまり「レンズの目」を通してみている。しかし「オサマの目」こそ本当は必要なのである。
 外国人に、「オサマの目」でアフガニスタンをみることがはたしてできるだろうか。その世界の外からではなく、その世界の中に入って現地人の立場にたって世界をみることができるだろうか。国際協力などの現場では、このことをよくふまえた上で何ができるかをかんがえていかなければならない。(040514)

現実をえがきながら抽象化する

 映画「アフガン零年」(セディク=バルマク監督)はあくまでも映画であってドキュメンタリーではないだろう。しかしこの作品は、アフガニスタンの現実をかなりの程度にリアルにえがきながら、人間あるいは人間社会の本質をかたっている。
 現場の現実を忠実に表現するのか、あるいは抽象化された本質を表現するのか表現方法はさまざまであるが、すぐれたえがき方をすればいずれにしても感動をよびおこす。一般的には、現実は現実として、抽象は抽象として、あるいは現実と抽象とを2段階にわけて表現するのが基本であるが、この作品は現実と抽象の両者を同時にうったえかけてくる。 (040512)

文字と画像をくみあわせる -高野山の曼荼羅-

 東京国立博物館で開催された「空海と高野山展」を再度みる。
 第一展示室に入ると弘法大師座像がむかえてくれる。
 奥の方には高野山奥之院出土遺物、両界種子曼荼羅(りょうかいしゅじまんだら)が展示されている。奥之院御廟は空海の墓所であり、真言宗の聖地、多数の経塚墳墓がいとなまれた。経塚遺物は、内容物が完全に保存された希有な例である。
 第1展示室をぬけ第2展示室に入ると、両界曼荼羅図(血曼荼羅)が正面にせまってきて圧倒される。その左後ろには両界種子曼荼羅(円通寺)がある。色彩はいっそうあざやかである。奥へすすみ、八大童子立像(運慶作)をへて第3展示室に入る。深沙大将立像・執金剛神立像、大日如来像、不動明王立像、毘沙門天立像、そして秘密儀式灌頂法具(ひみつぎしきかんじょうほうぐ)があり両界曼荼羅がそれぞれ一文字で象徴されている。
 東側展示室をでて西側展示室に入ると阿弥陀浄土曼荼羅図や九品曼荼羅図(くほんまんだらず)がある。これらの曼荼羅では図解的な性格をうしない絵あるいは情景がえがかれている。
 文字と図とが融合した種子曼荼羅を基点にしてかんがえると、秘密儀式灌頂法具では1文字のみによる表現になり、両界曼荼羅図から阿弥陀浄土曼荼羅図・九品曼荼羅図へは、文字はうしなわれ、図解、そして絵のみによる表現となっている。
 曼荼羅にはさまざまな種類があるが、文字と図とが融合した種子曼荼羅をその原点としてとらえると整理がつく。
 さまざまな記録をとる場合、文字をつかう方法と画像(図)をつかう方法の2種類がある。文字(メモ)で記録するときは、その時その場の状況や出来事を言葉に圧縮して記載する。適切なキーワードを寸時におもいつくことがもとめられる。一方で、その時その場のスケッチをとったり写真をとる方法もある。この場合は、対象と背景・角度・範囲などすばやくきめなければならない。文字と画像は、記録の方法であるとともに表現の方法でもあり、記録と表現をつみかさねることは能力開発にもつながってくる。おそらく仏教徒たちは、このようなことに十分に気がついて昔から実践をかさねていたのだろう。(040514)

情報処理がフィールドと問題解決をむすびつける

 胎蔵界曼陀羅は「フィールドモデル」(主体=環境系モデル)に、金剛界曼陀羅は「問題解決モデル」に相当する。前者は空間的側面、後者は時間的側面をあらわしている。そして両者をむすびつけるのは「情報処理」である。情報は生命の根元であり、情報処理の合理化・体系化こそあたらしい世界をつくりだしていくために必要なことである。(040514)

仮説法の好例をみる -全球凍結説-

 「地球大進化 -全球凍結-」(NHKスペシャル)をみる。生命は試練をのりこえて一段高いところへ進化した。迷子石から全球凍結説をみちびきだすのは「仮説法(アブダクション)」の好例である。
 迷子石があるところにはかつて氷河があった。アフリカ南部のナミビアで迷子石が発見された。その迷子石がふくまれる地層は6億年前に赤道付近にあった。この観察事実を、迷子石があるところには氷河があったという大前提にてらしあわせると、氷河は赤道付近までひろがっていた。つまり地球全体が氷河でおおわれていたという「全球凍結」の仮説がみちびきだされる。「観察事実」→「大前提」→「仮説」という研究プロセスであり、これは「仮説法」とよばれる方法である。
 そしてこのような仮説が発想されると、こんどは、迷子石の「大前提」と全球凍結の「仮説」から、「かつて赤道付近にあったほかの地層でも迷子石が発見されるはずである」という推理にもとづいて現地調査(フィールドワーク)をおこない、世界各地でその事実が発見される。全球凍結を支持する証拠がふえることにより、その仮説の蓋然性が一層つよめられる。この「大前提」→「仮説」→「現地調査により証拠をふやす」というプロセスは「演繹法」にもとづくものである。
 このように、「仮説法」と「演繹法」とをくみあわせて判断をくだしていく方法は、地球科学や地域研究などフィールドを研究する分野においてもっとも重要な役割をはたす。(040515)

思考実験をしてインターネット・セキュリティを強化する

 インターネットには、ウィルスや外部からの侵入などたくさんの危険がひそんでいる。インターネット・セキュリティのセッティングが必要である。このとき、被害にあった場合はどうするかというシミュレーション(思考実験)をしておくことが重要である。(040520)

人類・自然環境・技術のそれぞれについて情報を整理する

 人類と自然環境との相互作用にかかわる技術としてもっともふるくから重要な役割を演じてきているのが土木(engineering)であり、これに直接関与する地質学が土木地質学であり、近年の環境問題の深刻化とともに、土木地質学は環境地質学の色彩がつよくなってきた。
 人類の問題としては人口増加の問題があり、これが環境破壊をもたらしている。自然環境はそれ自体が崩壊・変動しており、これが、自然災害を人類にもたらしている。環境破壊と自然災害をくいとめ、人類と自然環境との調和をもたらすために土木や環境地質学はたす役割は大きい。
 一方、このような人類と自然とのかかわりは大きな自然史の中で生じてきたものであり、そのような歴史の中から、あるいは歴史をふまえて人類や地球の未来をつくりだしていかなければならない。近年、世界各地でいちじるしい近代化が急速にすすみ、自然の歴史から逸脱した人類の活動が人類や地球の未来をあやうくしている。ここで、もういちど人類は地球の歴史をとらえなおし、地球に調和した未来を構想していかなければならない。
 人類がかかえる問題としては、人口増加・エネルギー不足・廃棄物処理・水不足・食糧不足などがあるが、根本問題は人口増加である。自然環境の変動としては、地震・火山活動・風化と侵食・長期気候変動・砂漠化などがあげられる。
 「人類と環境」というテーマにとりくむ場合、人類がかかえる問題、自然環境の変動、そして人類と自然環境とをつなぐ技術のそれぞれについての情報をよく整理しなければならない。その上で、現在の人類と自然環境を自然史あるいは地球史の時間軸でとらえなおし、現代がかかえる矛盾をどう解消していくかという観点から、人類と地球の未来を構想していくことが必要である。(040521)

参考文献
B.W.ピプキン・D.D.トレント著『シリーズ環境と地質 第1巻 環境と地質』(全国地質調査業協会連合会環境地質翻訳委員会訳)古今書院、2003年

歴史の名著で歴史をなまぶ

 世界史の勉強法は、年表にしたがって様々な事件をとらえていくやり方や、歴史地図をつかう方法などもあるが、歴史の名著を中核にして概要を一気につかむ方法もある。
 寺沢精哲(あきよし)著『図説 地図とあらすじで読む歴史の名著』(青春出版社、2004年)は、テキスト(本文)だけでなく地図や図解が豊富であり、とてもわかりやすく記憶がしやすい構造になっている。
 歴史の名著は、先人たちが何らかのメッセージを後世の人々につたえようとしてかかれたものであり、先人たちの魂がこめられている。また、それぞれが物語になっているので教科書とはちがいドラマがある。このような魂やドラマが無味乾燥した歴史勉強を一変させることはいうまでもない。感動をともなう学習をするために歴史の名著をもっと活用していくべきである。(040522)

保険を掛けないときに事故に遭遇する

 「保険を掛けないときに事故に遭遇する。海外でけちは大損のはじまり。『時は金なり』の原則で本当の節約をかんがえよう。レンタカーをアテネで1日かりたとき、800円をケチって個人賠償責任保険に入らなかったら、接触事故をおこし、修理代として4万円をしはらう羽目になった。過去の海外旅行で支払った保険料は合計すると100万円をはるかにこえているだろう。そのなかで、よりによって保険を掛けそこなったときをねらいすかされたように事故に遭遇した」(エアーリンクトラベル著『海外旅行得ゼミナール ‘97』日経BP社、1996年)。
 保険を掛けたのに事故がなくて保険料を損したとおもうのはまちがいである。保険を掛ければ危険のほうがにげていく。危険は移動するものである。さまざまなシミュレーションをして、危険や危機にあらかじめ対処しておくことは、それらを回避するもっとも重要な方法である。(040525)

主体=環境系モデルと問題解決モデルは不二のモデルである

 世界を体系的にあらわすモデルとして、「主体=環境系モデル」と「問題解決モデル」がある。
 「主体=環境系モデル」は世界の空間的側面をあらわし、「問題解決モデル」は世界の時間的側面をあらわす。前者は「場」のモデルであり、後者は「働き」のモデルといってもよい。場には「真理」(原理や法則)がある。われわれもまたおなじ真理でできており、何らかの実践によりその真理に到達しなければならない。そして、そのためにこそ問題解決の方法が存在する。
 「主体=環境系モデル」では中心に主体があり、周辺の環境は宇宙へひろがっていく。主体を核にしてさまざまな法則がむずばれ、多様でゆたかな現象界が形成されている。このモデルは、何かをせねばならないということをといているのではなく、世界あるいは宇宙の実相はこうなっているのだということをしめしている。
 一方の「問題解決モデル」は、問題解決によってとおっていかなければならない世界、問題解決によってあらわれてくる世界をくまなくえがいている。ここには「智慧」が必要である。
 真理は智慧によってみいだされることにより、はじめてそれがあるということがあきらかになる。科学的な探求があってこそ原理や法則は発見されるのであり、智慧のはたらきがあってこその真理ということである。しかし一方で、真理をもつ環境という対象があるからこそ、それにむかう智慧の主体の働きが生じる。自然環境という対象があるからこそ、それにたちむかう科学者の探求が生じるのである。
 このように、真理があるから智慧が働き、智慧があるからこそ真理がみいだされるのであるから、両者はきりはなして成立するものではなく、真理と智慧とは本来的に不二なものである。こうして、「主体=環境系モデル」と「問題解決モデル」も不二のものとなり、両者はセットにしてとらえなければならないことがわかってくる。
 「主体=環境系モデル」と「問題解決モデル」のちがいはまずその構図にあらわれている。「主体=環境系モデル」では、中心から周辺へ、世界のいたるところへ普遍するような空間的にひろがる構図がとられているのに対し、「問題解決モデル」では、段階と体系化という時間的に展開される構図がとられ、いかに問題を解決していけばよいかの筋道がしめされている。この過程は、それ自体が智慧をきわめる いとなみになっている。(040527)

参考文献 夢枕獏編著『空海曼荼羅』(日本出版社、2004年)

問題意識をにつめれば情報は自然にあつまる

 問題意識をにつめていると必要な情報が自然にえられることがある。むこうからやってくるといった感じだ。何気なく図書館の中をあるいているだけで、重要な新刊本にたまたま遭遇することがある。情報のもれおちはこのようにしてなくなっていく。必死になって情報をあつめるのとはまたちがった味わいがある。自然に情報があつまるのはとてもたのしい体験である。 (040527)

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2004年10月31日発行
(C) 2004 田野倉達弘