思索の旅 第21号
カトマンドゥ
> カトマンドゥ・冬の朝(ネパール)

21-01 都市国家に、人間と自然が調和するヒントがみえる

 ネパールのカトマンドゥ盆地には、かつて、カトマンドゥ・ラリトプール・バクタプールという3つの都市国家が繁栄していた。そこには、中心に市街地があり、その周囲には耕作地が分布し、さらにその外側にはゆたかな自然環境がひろがっていた。そこでくらす人々は、田畑をたがやすことを通じて自然環境と接し、自然から恩恵をうけるとともに、自然環境の改変をおこなっていた。ドゥンゲダーラとよばれる水道も完備していた。
 都市国家では、さまざまな技術をつかって自然と通じていた。このような技術は「文化」といいかえてもよい。社会は「文化」を介して自然とつながり、社会と自然とは一体になっていた。
 そのようなひとつの体系は「社会=文化=自然環境系」ということもできる。ここに、人間が自然と調和・共生するための重要なヒントをみることができる。
 都市国家とは、帝国主義にもとづく領土国家(本格的な文明)が発展する前の段階に形成されたものである。都市国家のシステムは、人類や文明の歴史をかんがえるうえでもとても興味深い。

21-02 マンダラとは、大きな世界を圧縮表現したものである

 ネパールのカトマンドゥでは、様々なマンダラが販売されていて、マンダラには実にたくさんの種類があることにおどろかされる。伝統的な形式のものもあるが、「宇宙マンダラ」や「ネパールマンダラ」もある。私は「宇宙マンダラ」を買った。
 「ネパールマンダラ」もよく見せてもらった。そこには、タライ・パハール・カトマンドゥ盆地・ヒマールなどのすべてが一枚の絵に圧縮してえがかれている。せまい所に様々なものがひしめきあっていて、ネパールの多様性がいかに大きいかがよくわかる。

21-03 住民の生活向上と自然環境保全の両方が必要である

 国際協力により自然環境の保全をすすめる場合、現地住民の生活も常にかんがえなければならない。自然を保護するだけでは現地住民は生活していくことはできない。
 たとえば植林事業には、環境保全(土地保全・森林保全・防災など)と換金作物による現金収入の効果がある。住民居住地の環境は、住民にとって利用しやすい環境に改変していくことが必要である。住民が改変した環境は「人工的環境」となる。
 再生林がふえ、「人工的環境」をうまく利用できるようになれば、その周囲にある原生林(自然林)にまで手をだす必要がなくなり、結果的に原生林の後退がとまり自然保護になる。「人工的環境」と元の自然環境との間に一線をひき、利用地域と保護地域を厳密に区別する取り決めも必要である。
 このような取り組みは、人をいれた生態系を構築していくことにほかならない。

21-04 日記はデータベースとして活用できる -河口慧海の日記-

「日本人としてはじめてチベットに入り、日本のチベット学の祖といわれる僧・河口慧海(かわぐちえかい、1866〜1945)の日記がみつかった」(朝日新聞、2004.12.24)。
 日記には、ヒマラヤ山脈をこえてチベットに潜入したルートが詳しく記されており、その記録は、彼の主著『西蔵(チベット)旅行記』の記述を裏付けるとともに、これまであいまいだったチベット入りのルートをあきらかにするために役立つという。
 河口慧海は、現地でまず日記をかき、それをベースにして著作をうみだしたとかんがえられ、その意味で彼の日記はデータベースであったということができる。データベースを構築することは情報処理をすすめるうえで必要不可欠なことである。
 日記というと、自分だけのために心の内をひそかに記すといった面をおもいうかべる人もいるかもしれないが、データベースや情報処理といった現代的な観点から日記をとらえなおすことが重要である。日記をつけることは、すぐれた情報処理をするために大変役立ち、情報処理のための日々の基礎的な作業として位置づけることができる。
 また、日々の詳細な記録をつけることは、情報の客観性をますことにもなり、この意味でも日記は非常に重要である。

21-05 時間をおいておなじ場所から写真をとり、歴史を見る

「東京港区で写真店をいとなむ田島みどりさんは、亡父が46年前に写真を撮影した、東京タワー展望台のおなじ場所から写真を撮影した」(朝日新聞、2004.12.25)。
 新聞には、浜離宮・汐留方面の2枚の写真が掲載されており、これらを比較すると、46年間の変化をまのあたりにすることができる。46年前には、浜離宮・汐留方面には高層ビル群はひとつもなく、奥に勝閧橋がみえる。現在は、巨大なビル群ができ、高層ビルの間に浜離宮がみえる。
 通常、写真は場所を撮影するものであって、場所ごとの比較をする。空間をとらえ、場所のちがいをとらえる。
 しかし、ここでは時間をとらえている。時間のながれをとらえ、時を比較する方法もあるのである。時間をおいておなじ場所から写真をとり、2枚の写真を比較しながら時のうつりかわりを研究するのは、カメラの有効な使用法のひとつである。写真は客観的な情報を提供してくれる。
 「時の流れは、街を進化させましたが、人の暮らしは日陰に追いやられているように見えました。でも、救いだったのは、どの写真にも変わらず残っている建物を見つけられたこと」と田島さんは話した。

21-06 大きな視野で観察すると意味がわかってくる

 フィールドワークでは観察力がものをいう。
 観察とは、目を通して心の中への情報をインプットすることである。インプットするときには、対象を時系列的に順序よくみる必要はなく、多数の物を分散的にまるごとインプットする方がよい。中心視野だけでなく周辺視野もつかって全体をまるごと大きくみるとよいインプットができる。
 また、問題意識をもって観察すると、実によくみえ、記憶もよくできる。色彩にも関心をもったり、みえないところは想像することも重要である。心の中にインプットをしたら、心の内面に全体像・鳥瞰像をきちんと構築する。重要なイメージはしっかり記憶するようにする。
 大きな視野でよい観察をして、より大きな枠組みでものとごをとらえられるようになると情報処理のエラーがすくなくなる。視野をひろくし、大きな枠組みをつくるためには、旅行などをして日常とはちがうことなる体験、異体験をすることが重要である。大きな枠組みの中に対象を位置づけると、意味が明確になる。そもそも意味とはみずからの体験の枠組みのなかでつくられるものである。

21-07 問題解決や創造は人間が歩行することとよく似ている

 問題解決の第1段階では、テーマをめぐる問題を発掘し、問題意識を明確にする。そのときは、一カ所にすわって心の中をじっくりみつめなおす。問題がすべてあらいだされると、それだけで心の均衡がえられ、心は安定する。
 しかし、そのままでは問題を解決し、あらたなものをうみだすといった創造にはむすびつかない。そこで、一旦えられた心の均衡をくずして、前進し、あたらしい均衡をもとめなければならない。前進するためには一旦均衡をくずすためのつぎの一手が必要である。その一手こそが行動でありフィールドワークである。このとき問題解決は第2段階に入る。
 これは、一カ所に直立していた人が、直立のバランスをくずして、あるきはじめるようなものである。あるくためには、バランスを一旦くずして、一歩をふみだし、そして反対の足をだして、ふたたびバランスを回復するといった運動を連続的におこなわなければならない。これは、バランスをくずすことと、回復することとをくりかえす動的な平衡ともいうべき行為である。
 このような点で、問題解決や創造は、人間が歩行することとよく似ている。

21-08 背後の情報と目前のデータによって判断や予測が左右される

 おなじ現象やおなじデータを目のまえにしても、人によって判断や予測がことなることがよくある。すでにもっている知識や経験が人によってちがうからである。現象やデータは、すでにその人が心のなかにもっている情報の体系に位置づけて解釈される。
 気象予測・火山や地震の予知などで学者によって見解がわかれることはよくある。判断とか予測は、目前の現象やデータだけでできるものではない。目前の現象やデータの背後にある膨大な情報があってこそできる。
 背後にある膨大な情報の質が高く、量が多ければ判断や予測はより的確になるかもしれない。
 しかし、まったくあたらしい現象やデータがでてきた場合、過去の情報の体系がかえって真実をおおいかくすこともある。
 いずれにしても、背後にある膨大な情報と目前のデータという2種類の情報郡の相互作用によって、判断や予測がうまれことを知っておかなければならない。

21-09 アクションリサーチは実践者の立場でおこなわなければならない

 アクションリサーチは、あくまでも、研究者の立場ではなく実践者の立場でおこなわなければならない。
 仮説をたてて実験をおこなっているのが科学者である。実験は何回も場合によっては無数におこなう。仮説が検証されるまでおこなう。仮説どおりにならなかった場合、実験は失敗したことになる。仮説どおりになった場合は、実験は成功したという。実際には、成功よりも失敗の方が多い。人間を実験材料にはできないから、モルモットなどの人間以外の生物をつかう。
 たとえば、2つの村を対象にし、一つの村には技術協力をし、他方の村には何もしないで、結果をみるということも、やろうとおもえばできる。これも実験である。しかし、決して村や村人をモルモットにしてはならない。
 国際協力や技術協力では、大前提となる思想や哲学が必要である。それは、村や住民の平和や幸福にむすぶつくものでなければならない。研究者の自己満足におちいってはならない。研究は手段であり、あくまでも、協力の実践者の立場で仕事をすすめていかなければならない。

21-10 現地語をおぼえると、村人の反応が変わる

 国際協力で現地に入った場合、現地語をおぼえようとすると、村人の反応はまったくちがってくる。
「ネパール語を勉強している日本人がきた!」私は、ノートをもって毎日つぎからつぎへとネパール語をおぼえていく。現地の人々と、トークをくりかえすのがよい。

21-11 外国語の習得のためには、音声の入力訓練をまずおこなう

 外国語をいかに効果的に習得するかは多くの人々にとって重要な課題である。
 話とか文章とかの言語体系は、分解すると音声・単語・文法といった側面がみえてくる。いいかえると、音声・単語・文法が基礎となって言語体系は成立している。したがって、言語習得の教材も音声・単語・文法という3種類が存在することになる。
 一方で、言語は情報処理システムの重要な道具である。人間は耳と目で言語を頭に入力(インプット)し、頭で言語を認識し意味をつかみ反応をおこし、口や手で言語を出力(アウトプット)している。リスニングとリーディングは情報の入力(インプット)であり、認識や記憶、意味をつかむことは情報の処理(プロセッシング)であり、スピーキングとライティングは情報の出力(アウトプット)である。
 このようなことから、言語の訓練は、音声・単語・文法のそれぞれの分野について、「入力→処理→出力」の訓練をおこなうのが効果的であることがわかる。
 外国語の訓練をつみかさねていく順序は、子供が言語を習得していく順序とおなじにするのが自然である。
 音声・単語・文法を習得していく順序については、「音声→単語→文法」という大局的な順序が存在する。子供はまず音声をおぼえ、しだいに語彙力をふやしていく。言語的なアウトプットをだす仕事についた人は文法も勉強する。
 したがって言語訓練には、「音声→単語→文法」という軸と「入力→処理→出力」という軸の2本の軸が存在することになる。このような2本の軸における順序をかさねあわせると、言語訓練の初期段階においては「音声の入力」を徹底的におこなうのがよいということになる。この訓練がその後につづくあらゆる訓練の基礎になる。まず音声の入力訓練を徹底的におこなって、しだいに、単語や文法、あるいは処理や出力の訓練をかさねていく方法こそが言語習得の正攻法である。

21-12 自分史年表をつくり内面世界を再構築する

 藤田啓治監修『脳を活性化する自分史年表』(出窓社、2005年)が発行された。
 この本は、左ページに年ごとの大きなニュースや世界情勢、印象にのこる出来事などが記載されており、右ページに自分史を記入するしくみになっている。記入をしながら、社会や世界の情勢と自分に関する出来事をむすびつけたり、全体情勢の中に自分を位置づけて、自分のたどってきた道のりをとらえなおすことができる。
 また、記憶法や情報処理法の訓練手段としても有効であり、自分の内面世界の再構築ができる。

21-13 曼荼羅は絵解きの道具である -特別展「祈りの道 〜吉野・熊野・高野の名宝」-

 世田谷区立美術館(東急田園都市線・用賀駅下車)で、特別展「祈りの道 〜吉野・熊野・高野の名宝」(紀伊山地の霊場と参詣道 世界遺産登録記念)が開催された。
 入り口を入ると「蔵王権現立像」の威容が、すさまじい迫力でせまってくる。身の丈は4.5メートルをこす、右手をふりかさし、片足をあげた怒りの形相の巨像である。吉野・金峯山寺(きんぷせんじ)、鎌倉期のものである。
 第1展示室「吉野・熊野・高野をめぐる人々」から、第2展示室「参詣と修行の道 〜熊野古道と大峯奥馳道〜」、第3展示室「高野山町石道と高野山の名宝」とつづく。
 売店にて『絵解き・熊野那智参詣曼陀羅』を買ったのち2階へあがる。第4展示室は「吉野・大峯と修験道の遺宝」である。第5展示室「熊野信仰と三山の遺産」、第6展示室「霊場と道中の名宝」とつづく。
 「那智参詣曼陀羅図」について、音声ガイドは次のように説明していた。
 「画面下部には補陀落山寺(ふだらくさんじ)と浜の宮からの浄土へむかう渡海舟、画面上部には那智大社の境内と如意輪堂、右上には那智の滝と千手堂、画面最上部には左に月輪が右に日輪がそれぞれ配され、霊場那智の様子を一枚の絵にもりこんでいる」
 曼荼羅は絵であるが、言語による解説も可能である。音声ガイドをききながら曼荼羅をみつめると大変よく理解でき、記憶にものこる。曼荼羅は、全体を要約し、本質を一枚の絵あるいは図にまとめあげる。
 そもそもこの曼荼羅は「絵解き」のためにつかわれたという。「絵解き」とは絵をさしながら言語で説明することである。昔の指導者は、人々に、曼荼羅をしめしながら言語で説明した。わたしが曼荼羅をみながら、音声ガイドから言語で説明をうけたように、人々は、曼荼羅をみながら言語で説明をうけ、視覚と聴覚をシンクロナイズさせて意味や本質を理解した。これは視聴覚的解説と視聴覚的理解である。
 ところで、吉野・高野・熊野は都の奥座敷であった。そこは自然の世界であり、精神世界であった。都から比較的ちかいが、俗の世界とはちがう聖域であった。吉野・高野・熊野は都とセットになって当時の世界をつくりあげていた。そして、自然信仰(自然崇拝)や祈りのつみかさねにより文化がはぐくまれた。紀伊の自然は文化がしみこんだ自然である。
 今回の特別展のテーマは「祈りの道」であった。そこには、曼荼羅がある一方で道がある。曼荼羅は空間的なものであり、理解するものであるが、道はあるくものであり、実践的・時間的なものである。そこでは行動が重視される。
 曼荼羅と道を対比してみるとそれぞれの本質がみえてくる。道をあるいて参詣し、曼荼羅をみて勉強し、行動と理論をシンクロナイズさせてこそ真理に到達できるということだろう。

 
参考文献:
大阪市立美術館編集「祈りの道 〜吉野・熊野・高野の名宝〜」(特別展ガイドブック)毎日新聞社・NHK発行、2004年
立花秀浩(文)・松下千恵(イラスト)・島崎智子(デザイン)・照井四郎(写真撮影)『絵解き・熊野那智参詣曼陀羅』わかやま絵本の会発行、2004年

21-14 音を物におきかえて構造を理解する -ブリティッシュ・ブラスバンド-

 ブリティッシュ・ブラスバンドのDVD「Highlights from the European Brass Band Championships 2003」を視聴する。ブリティッシュ・ブラスバンドとは、いわゆる吹奏楽とはちがい、木管楽器はなく金管楽器と打楽器だけで構成される楽団である。
 その音楽は時々きいていたが、映像を見るチャンスは非常に少なかった。今回DVDを見て、それぞれの音をそれぞれの楽器にむすびつけることができた。そして、ブリティッシュ・ブラスバンドの構造をよく理解することができ、すばらしい響きの空間が生まれる仕組みがよくわかった。
 このように、音のような抽象的な情報は、それがでてきた物を確認して、視覚的にとらえなおすと全体の構造がすみやかに理解できる。自然の構造や自然環境の理解にも応用できる方法である。

21-15 最後に決定的証拠を一つあげる -『刑事コロンボ』-

 科学論文の形式は、いくつものデータをまずしめして、そのまとめとして仮説(考察)をかく。仮説が結論になる。
 しかし、『刑事コロンボ』の物語は、まずポイントとなるいくつかのデータ(証拠)をしめし、仮説(犯人)をあげ、そして最後に決定的な証拠を1つあげる。決定的な証拠は急所である。急所をついてとどめをさす。ここに、静的な研究と実践的な問題解決のちがいがある。

21-16 ピンときた瞬間をとらえる -『刑事コロンボ』-

 『刑事コロンボ』は問題解決や情報処理を考察するうえで参考になる。コロンボの方法はモデル化することができる。コロンボの方法は「アクションリサーチ」である。
 コロンボが、いつどこでピンときたかは重要である。ピンときた瞬間、そこが仮説発想の瞬間である。そしてつぎに、どのようにして決着をつけたが重要である。決着をつけるためには、急所を発見し、目標を設定することが必要である。

21-17 料理をしらべて、生態系を探究する

 西洋ではパンにバターをぬってたべる。日本ではライスに魚をのせた寿司をたべる。ネパールではライスにミルクあるいはヨーグルトをかけてたべる。
 パンとバターのくみあわせは、小麦農業と牧畜(酪農)のくみあわせを反映している。ライスと魚のくみあわせは、稲作農業と漁業のくみあわせを反映している。ライスとミルク(ヨーグルト)のくみあわせは、稲作農業と牧畜(酪農)のくみあわせを反映している。西洋とネパールは半農半牧(農業+牧畜)であり、日本は半農半魚(農業+漁業)である。
 このように、各地域の料理(食文化)の基本は、その地域の生業パターンのくみあわせをそのまま反映している。料理(食文化)にはその地域の生業パターンや生態系が圧縮されている。
 これをひとつの原理としてあつかうならば、料理をしらべて、そこから生業パターンや生態系を探究するという方法が提案できる。
 料理とは奥深いものである。

21-18 いま、ここでないとダメだという価値観が生じてきた

 「いまは万博を活用し、新しい形を探ることに意味があります。いま、ここでないとダメだという価値を強く訴えるべきです」と愛知万博政府出展事業クリエーティブ統括をつとめる彦坂豊氏はいう(朝日新聞be on Saturday, January 29, 2005)。
 19世紀の万博はそこで世界を体験するため万博であったが、20世紀後半に、メディアの発達によっていつでもどこでも情報が手に入る環境ができたため、従来の万博の役割はなくなった。そこで今回の愛知万博には「あたらしい形」がもともられるようになった。
 世界の情報が簡単に手にはいるようになったといっても、人々は、その瞬間に特定の場所で実際に何かを体験したいとおもっている。わたしたちは情報の海の中で生きていながら、どこか特定のポイントでは実体験をしたいとおもっている。情報の海と実体験という2重構造の世界でいきている。情報環境がととのったからこそ、「いま、ここでないとダメだという価値」観が発生してきたのである。
 このようなことが理解できれば、「いま、ここで」を実体験するために、現地に実際にいく意義が大きいこともよくわかってくる。

21-19 おなじ現象をみても、何をかんがえるかは人によってことなる

 「氷河が崩れ落ちる映像は、地球温暖化の危機の映像ですが、美しくもみえる。感じとったら、考えるのは自分ですから」(建築家・環境デザイナーの彦坂豊氏、朝日新聞be on Saturday, January 29, 2005)。
 ここで「感じとる」とは情報を頭のなかにインプットすることである。「考える」とは情報を頭のなかで処理することである。
 重要なことは、おなじ現象をみても、何をかんがえるかは人によってことなるということである。これは、インプットされた情報がおなじであっても、情報の処理の仕方やその結果は人によってことなることを意味する。
 氷河が崩壊する映像をインプットして、環境の危機をかんがえるか、実にうつくしいとおもうか、あるいはその両面をとらえるかは、その人の情報処理にかかってくる。
 情報の処理は、すでにその人が心の中にもっている情報とあらたに入ってきた情報とが反応しておこる。情報処理の仕方や中身がことなれば、それにつづく情報のアウトプットも当然ちがってくる。情報処理とは複雑なものである。

(2005年1月)
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2005年7月30日発行
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