思索の旅 第2号
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<目 次>
国立科学博物館でジャイアントケルプをみる
市民組織が第3の極になる -NGO/NPO-
横思考と縦思考により理解をすすめる -文明の道 二大展-
歴史を空間におきかえてみる -鎌倉・禅の源流展-
東北地方を日本の第3の極にする
問題解決は問題提起からはじまる
よくできたチームはひとつの心の場を形成する
「方法」「階層構造」「進化」が地学教育のキーワードである
フィールドワークには情報処理と問題解決の2つの側面がある
類語辞典をつかって情報の階層構造をとらえる
「今西自然学」がパラダイムの転換をもたらす

国立科学博物館でジャイアントケルプをみる

 国立科学博物館・新館の海洋展示室へいく。
 入り口を入るとジャイアントケルプがしげっている。ここは海底の林である。足下には、魚がおよぎ、みあげるとサメがいる。普段とはまったくちがう視点から海をみることができ、異空間を体験することができる。
 通路の上にはビデオがあって、イマジネーションの世界を拡大してくれる。様々な海の生物の姿と名前、それらの多様性を知り、海の生態系を実体験できる。
 ジャイアントケルプの林をぬけると、寒帯の海、そして温帯の海、熱帯の海、深海底とそれぞれの気候帯をみながら、海の世界の多様性を体験できる。みあげれば様々な魚がおよいでいる。
 博物館は情報圧縮の場である。博物館で概要をつかんでおき、水族館(水族園)で実物をみれば、体験はさらにふかまり、知識も定着する。ジャイアントケルプの実物は、たとえば葛西臨海水族園でみることができる。(031101)

市民組織が第3の極になる -NGO/NPO-

 「NGO/NPO Walker」というメールマガジンが発行されている。NGOあるいはNPOで活動する者にとって有益な情報を毎週おくってくる。週に約1万部も発行されているという。
 ここで気になるのは、「NGO/NPO」という部分である。NGOとNPOの両者が併記されているが、わかりやすくどちらか一つに統一できないものだろうか。
 NGOとは非政府組織のことであり、NPOとは非営利組織のことである。法的にはNPOがつかわれ、最近NPO法人が急増している。わたしが所属するNGOも2000年に特定非営利活動法人いわゆるNPO法人になった。
 これらの用語は、政府と営利組織ではない組織・領域を想定している。政府と営利組織は、社会において2極構造をつくりだしてきた。政治と経済、いままではこの両者が社会の基本構造をつくっていた。
 それでは現代社会において、政府でもない営利組織でもない領域ではたらく人々とはいったいどのような人たちであろうか。それこそがボランティアである。阪神大震災のおりにはボランティアが大活躍したことはよくしられている。その特徴は自発性であり主体性である。ボランティアの台頭は現代社会のあたらしい潮流であり、市民社会層が成熟してきた証拠である。
 このような時代の潮流にあって、政府と営利組織に対する用語としてNGOやNPOという用語はあまりにも消極的である。もっと積極的に「市民組織」とよんだほうがよいだろう。市民組織は、政府・営利組織につぐ第3の極となる。
 これにより、政界・財界・市民社会という3極構造が成立することになった。活動形態からいうと、政治・経済・ボランティアということになる。「市民組織」は市民社会の中核的な役割を担っていく。これらの3本柱が、お互いに刺激を与えながら健全に発展することがこらからの社会にとって必要なのだろう。
 そして、それらの中間領域で活動する人々、2つ以上の領域、2つ以上の組織に所属して活動をする人々もではじめている。昼間は会社で、アフター5は市民組織でといったパターンである。これは、従来の仕事だけでは人間は決してみたされないことをしめしている。
 メールマガジン「NPO/NGO Walker」は、専従スタッフもいない手弁当での活動であり、その舞台はネットの中であるという。メンバーの自宅で、旅先で、あるいは仕事の休憩時間にノートパソコンを広げたところが編集の場であるそうだ。このように、市民組織は高度情報化とともに発展しているという特徴をもち、情報化の波にのって今後とも成長しつづけていくのであろう。(031208)

横思考と縦思考により理解をすすめる -文明の道 二大展-

 2003年9月、「文明の道 二大展」をみる。「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」は東京国立博物館で、「トルコ三大文明展」は東京都美術館で開催された。
 「東西文明の交流展」では、ギリシャ美術が中央アジアからインドまで伝播し、その余波が、シルクロードをへて はるか極東の日本にまで到達した様子をみることができた。
 一方の「トルコ三大文明展」では、ヒッタイト帝国・ビザンツ帝国・オスマン帝国を中心にして、素朴文化から都市国家をへて、文明が発展していく過程を歴史的にみることができた。
 今回、この2つの展覧会をほぼ同時にみることにより文明に関する理解は急速にすすんだ。
 「東西文明展」が「広域観測」であるのに対し、「トルコ文明展」は「定点観測」といえる。「東西文明展」ではユーラシア大陸全域を広域的地理的にとらえることができたのに対し、「トルコ文明展」では、文明の発展を時間的歴史的にとらえることができた。前者が「横思考」であるのに対し、後者は「縦思考」である。
 このように「横思考」で地理的空間的に全体像をつかみ、ここぞという地点をさだめて今度は「縦思考」をおこない、歴史的につかむという方法は大変有効である。この方法は、ほかのテーマにおいても応用することができる。(031208)

歴史を空間におきかえてみる -鎌倉・禅の源流展-

 2003年7月、「鎌倉 禅の源流展」をみる。
 鎌倉幕府5代執権、北条時頼は、武士独自の文化を確立しようと中国から積極的に禅文化をとりいれ、日本初の純禅の寺・建長寺を創建した。当時の鎌倉は異国文化にみちあふれていたという。禅というと京都だとおもわれがちだが、実は鎌倉の方が先である。鎌倉幕府が、鎌倉を、京都にまけないあたらしい都にしようとしたことがうかがえる。
 ここにいたり、京都と鎌倉という「2極体制」が日本に確立した。そして、関西と関東という「2極体制」の図式は今日までつづいている。日本は東西に2つの極をもつおもしろい国であり、その歴史は東西の「シーソーゲーム」としてとらえるとわかりやすい。
 このように、歴史を空間におきかえてみると理解がすすむことがある。時間的なるものを空間的にとらえなおしてみるということだ。日本だけでなく、ほかの地域にも応用できる方法である。(031208)

東北地方を日本の第3の極にする

 東北大学が、2007年に創立100周年をむかえるという。東北大学は、東京大学、京都大学につぐ第3の国立大学として、「研究第一主義」「門戸開放」をかかげて開学した。創設者たちには、東京大学や京都大学にまけない大学をつくろうと意気込んでいたことだろう。
 学問の世界にも、「東大」対「京大」という「2極体制」の図式があるが、東北大学をくわえれば「3極体制」となる。
 東北地方が、その知の拠点である東北大学とともに発展すれば、東北地方が日本の「第3の極」になることもかんがえられる。東北地方が、日本の「奥座敷」になり、関東と関西を背後からとらえるというのはどうであろうか。「3極体制」のほうが、日本の文化はより安定したものになるにちがいない。(031208)

問題解決は問題提起からはじまる

 問題解決は、あるテーマのもとでの問題提起からはじまる。問題提起とは何かについてしりたい、何とかしたいとおもう心のことであり、そこには希望とか未来への展望がある。
 健全な心の中にはまず未来がある。未来を先に想像することが重要である。そしてその未来の心のもとで、現在の現実がうまれ、現実はつぎつぎに過去のものになって、記憶として心のなかに保存されていく。つまり、心の中では、未来→現在→過去とすすむのが健全な状態である。物理的な現実の世界では、まず過去があり、そして現在があって、未来はこれからくるということになっているが、これと心の中のながれとは逆になっている。まず未来を想像しなければならい。
 未来を想像する問題提起は心の中でおこなうものであるから、この段階ではそれが実現可能かどうかをかんがえる必要はない。心の中を探検し、過去の体験も想起しながら、自由にイメージをえがく。そして、おもいついたことはすべてかきだすのがよい。かきだすという行為は、心のなかから情報をはきだすことであり、情報処理の観点からは「出力」ということができる。出力することにより、情報は統合され、また堂々巡りもなくなる。(031228)

よくできたチームはひとつの心の場を形成する

 チームで議論するとき、「探検ネット」という図解をつくりながおこなうと、チームメンバーの心の中の様子がそのまま図解としてあらわれてくる。「探検ネット」では、模造紙をひろげ、中心にテーマをかき、その周囲にラベルをつぎつぎに配置していく。
 チームは複数の人々により構成されるのであるが、よくできたチームでは、個々人の心は統合されて、チームでひとつの「心の場」が形成される。それは、1人1人の心をただ単にたしあわせたものではない。複数の心が融合して、ひとつの「心の場」となっていく。
 「探検ネット」をつくると、そのことが目にみえてあきらかになる。(040201)

「仮説」「階層」「分化」が地学教育のキーワードである

 地学は、物理・化学・生物とならぶ理科の1科目であるが、以前からあまり重視されていなし、生徒からも人気のない科目のひとつになっている。その最大の原因は、地学が単なる暗記科目になっていることにある。
 地学の教育では研究結果を暗記させるよりも、結果にいたるまでの方法をまずおしえなければならない。その方法の骨子は、「観察・観測→仮説発想→実験による検証」というものである。現実世界の観察・観測を出発点とするところが、人為的にコントロールされた世界で現象をみる物理や化学とはちがう。そして、えられたデータにもとづいて「仮説」を発想する。「仮説」がどのようにしてでてきたのかが重要なポイントになる。結果にいたるまでのプロセスの展望をあらかじめ しめしておけば知識も身につきやすくなり、また方法をおぼえることにより、ほかの分野への応用も可能になる。
 つぎに、宇宙や地球の構造を認識させることが重要である。われわれがくらしている世界は、宇宙・銀河系・太陽系・地球という階層構造になっている。地球は、岩石圏・水圏・大気圏などからなり、岩石圏はさらにプレート・岩石・鉱物などの階層構造になっている。このように「階層」が宇宙や地球の構造を理解するうえでのポイントになる。
 そして、このような階層構造は進化(歴史)によって生じたのであり、それは、元1つのものがしだいに分化生成発展したきたものである。この「分化」の過程を理解させることが大切である。
 このように、「仮説」「階層」「分化」が地学教育のキーワードとなり、これらに着目することにより、地学の方法や、宇宙と地球の構造と進化について理解することが容易になる。
 このような観点を重視して勉強つづけていると、現代の宇宙観・地球観を認識することが可能になり、また地学教育ではそれをめざさなければならない。しっかりとした宇宙観・地球観をもつことが、価値観を確立するための大前提となる。(040202)

フィールドワークには情報処理と問題解決の2つの側面がある

 フィールドワークには、情報処理と問題解決という2つの側面がある。
 情報処理とは、五感により現場で情報を心の中に入力し、その情報を処理し、そして文章や音声などとして出力することである。出力は現場での行動につながる。
 問題解決とは、現場がかかえる問題を実際に解決することであり、そのためには情報収集などのフィールドワークが必要になる。ここでは現実との格闘がおこる。
 前者は「現場」の側面、後者は「現実」の側面ということもでき、このような2つの側面を意識するだけで、フィールドワークは効率的になり、みのり多いものになる。(040219)

類語辞典をつかって情報の階層構造をとらえる

SRS空間記憶法
 ビデオ「ワイキキビーチ鳥瞰記憶法」は、SRS研究所から発行されている「SRS記憶法」のビデオ教材であり、この教材をみることにより、「空間記憶法」の極意をたのしくマスターできる。具体的には、ハワイ・ワイキキビーチに100のエリアを設定し、立体的でリアルで臨場感あふれる心の空間をつくる作業をおこなう。特にこのビデオでは、大局的な映像と局所的な映像との関係を操作することに重点をおいているのでイメージ訓練の格好の教材にもなっている。
 まず、このビデオの「鳥瞰編」をみて、100の「数字イメージ」を結合しながら、設定された100のエリアを記憶していく。つぎに「散歩編」をみながら、各エリアのイメージをふくらませ、「小観」を綿密にする。ひととおりみおわったら、付録の解説書にあるエリアコードをみながら、各場面をリアルにおもいだす。あくまでも映像記憶をつかうことが重要である。
各エリアの写真をとり単語をうめこむ。
 わたしはつぎに、記憶した100のエリアをつかって、『類語国語事典』(大野晋・浜西正人著、角川書店、1985年)の見出し語100語を記憶することにする。
 まず、ビデオをみながら、デジタルカメラをつかって各エリアの写真をとる。
 そして画像処理ソフトをつかって、撮影した100枚の写真に類語辞典の見出し語100語を記入していく。写真に実際にかきこんでしまう。同時に、各エリアにわりあてられた数字(番号)も記入しておく。たとえば、[01 暦日]「02 気象」「03 地勢」・・・というように。
 このとき、それぞれの単語をイメージ化もするようにする。つまり、エリアに「数字イメージ」とともに「単語のイメージ」を結合していく。たとえば「暦日」はカレンダーを、「気象」は急にふってきた雨を、「地勢」は山や川の地形模型をそれぞれイメージし、それぞれのエリアにうめこんでおく。シャープなイメージをしっかりとえがくことが大切である。決して、単語を発音して、音だけで単語をおぼえようとはしない。
 ひととおりの作業がおわったら、スライドショーなどの機能をつかって、数字と単語が記載された写真を何回かみて確認する。数字イメージと単語イメージをリアルに想起する。
 つぎに、見出し語100語だけみて、各エリアのイメージを想起する。各エリアの写真だけをみて、数字イメージと単語イメージと単語の文字の形を想起する。ここでは、文字を図形としておもいだす。
 そしてこんどは、単語が記入されていない元の写真をみて、うめこんだイメージと単語を想起する。
 最後に、何もみないで、01から順番に、数字イメージとともに単語を想起する。わからないものがあればすぐに確認する。
 以上の記憶とともに、類語辞典の「速めくり」と「速読」をおこない、見出し語の下にどのような単語があるかをつかんでおく。
類語辞典は情報の階層構造をしめす
 角川書店の『類語国語事典』は、まず大きく「A 自然」「B 人事」「C 文化」に分類されており、「A 自然」は「0 自然」「1 性状」「2 変動」に、「B 人事」は「03 行動」「04 心情」「05 人物」「06 性向」に、「C 文化」は「07 社会」「08 学芸」「09 物品」にそれぞれ分類されている。
 そして、これら01〜09までのそれぞれの単語がさらに10語の単語に分類されている。
 そしてさらに、それらの単語が10語に分類され、そしてさらにその下にたくさんの単語が配置されている。
 つまり、類語辞典の体系は、樹状構造あるいは階層構造になっている。これはあいうえお順に言葉をならべた国語事典とはあきらかにことなるものである。
 同事典にはつぎのように解説されている。
 「一つの単語の『意味』を知ることは、その単語と潜在的な関係をもっている単語群の中にその単語を置き、その単語の位置を知ること」である。また、「語彙を豊かにするとは、個々の語を、ばらばらに数多く記憶することではなく、本書に示したような、群としての単語を豊富に持ち、それを場に応じて的確に使用できるようにすることである」。
 つまり、単語の位置やそれらがつくりだす群をとらえることが必要であり、これはまさに単語を空間的に記憶するということである。言語の体系を空間化しておくことにより、言葉をおもいうかべやすくなる。ひいては情報処理の速度がはやくなる。これは言葉をつかいこなすために重要なことである。
日本語をとらえなおす
 わたしたち日本人はすでに日本語を毎日つかっている。小さいときから膨大な時間をかけて日本語を記憶してきた。しかし、自分の心の中のどこにそれぞれの日本語がしまわれているのかよくわからない。よくわからない、自覚がないというのは、効率的な情報処理にとってのぞましくない。そこで、日本語をもう一度とらえなおすことには意義がある。
 わたしは、「ワイキキビーチ鳥瞰記憶法」をつかって言葉を再確認・再認識し、心のなかに再入力した。これで安心感が生じた。わたしの日本語の単語はワイキキビーチにある。単語が心の空間のどこに位置づけられているかが明確になり、とりだしたりしまったりすることができる。文章化や口頭発表のときに必要な単語が出やすくなる。この方法は、日本語だけでなく外国語の学習にも応用できる。しかも比較的短時間で単語が記憶できる。
 100語の背後には何千語もの言葉がある。類語辞典の体系は、言葉の体系というよりも情報の体系であり、世界の体系である。階層構造をもった心の世界をつくりだすことが重要であり、そのために類語辞典は大変役にたち、心の世界を再構築し ゆたかにしてくれる。そして、言語とイメージとが融合した構造的な心の世界をつくりだすことができる。
 「ワイキキビーチ鳥瞰記憶法」では、鳥瞰と散歩により大局と局所をむすびつける訓練をする。類語辞典の構造にあてはめると、鳥瞰は見出し語に、散歩は下部構造にある個々の単語に相当する。つまり、見出し表をみることは鳥瞰に相当するが、類語辞典のページを1ページ1ページみていくのは散歩に相当する。
 このように、見出し表とページとを往復しながら情報の世界を旅していくことが大切である。(040222)

参考文献
栗田昌裕著『栗田博士のSRS記憶法 ―潜在能力をぐんぐんひきだす―』ダイヤモンド社、1993年
栗田昌裕著『記憶力がいままでの10倍よくなる法』(知的生きかた文庫)三笠書房、2002年
栗田昌裕著『栗田式記憶法ハンドブック』PHP研究所、1997年

「今西自然学」がパラダイムの転換をもたらす

 2002年は今西錦司氏の生誕百年にあたっていた。
 地図の空白地帯へいどむ。未知の課題にとりくむ。あたらしい学問を体系化する。今西は、これらのパイオニアワークを、徹底した野外観察とその記録、そしてみごとなチームワークによってなしとげていった。
 晩年には、それまでの仕事を集大成し、自然を包括的にとらえる「自然学」を体系化した。これは、自然を客観的にあつかうことではなく、自然に対して自己のうちに、自然の見方を確立することをしめしている。
 このような仕事は、京都大学のフィールド研究の伝統の中でうまれたものであり、また同時に、京都大学のフィールド研究の伝統をあらたにつくりだしていった。
 今西がたどった道のりはパイオニアワークであり、同時にフィールドワークであった。パイオニアワークとはフィールドを開拓することであり、またフィールドワーカーは開拓者でなければならない。
 このような道のりは同時に「方法」としてとらえることができ、地図のつかいかた、野外観察とその記録、チームワーク、仮説にもとづく学問の体系化など、数多くのことを今西からまなぶことができる。
 今西が晩年に提唱し展開した「自然学」は、パラダイムの転換をもたらすものであり、近代科学技術文明がいきづまりをみせはじめた今日、あらたな世界観を提示するものとして重要な役割をはたしていくことだろう。(040401)

 参考文献:『フォトドキュメント 今西錦司 -そのパイオニアワークにせまる-』(紀伊國屋書店、2002年)

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2004年9月22日発行
(C) 2004 田野倉達弘