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Bunkamura ザ・ミュージアム |
<目次> |
「釈迦十大弟子」 釈迦の十大弟子が普賢菩薩と文殊菩薩の間にならんでいる。十大弟子のひとりひとりの表情は実にゆたかで個性的ではあるが、十人のむきや配置は全体としてバランスをなしており、個と全のみごとな調和をみてとることができる。この板画「釈迦十大弟子」は今回の特別展で はじめて公開されたという。 2004年1月、「棟方志功・生誕百年記念展-わだばゴッホになる-」(東京・渋谷、Bunkamuraザ・ミュージアム/主催:Bunkamura,NHK,NHKプロモーション)をみる。 館内をあるいていくと、棟方志功の初期の作品から晩年の作品まで、その代表作が順番にあらわれてきて、棟方があゆんだ生涯をそのまま自然にたどることができる。 中でも、初公開の「釈迦十大弟子」は棟方の代表作でもあり、もっとも注目をあつめている。一枚一枚の板画は縦約1m、横約30cmの大きさをもち、抽象性の中にも、ひとりひとりの弟子の性格がいきいきとうきあがってくる。そして、それらの手前には、それらの画稿のうちの二枚が展示されている。 音声ガイドプログラムと会場平面図(>>>拡大)
十分な構想があった 画稿は原寸大であり、板木に版をおこす前の原寸画面での下絵の検討作業、とにかくえがいて、なっとくするまでえがきつづけるという棟方のしられざる制作の現場がみえてくる。構図や描線は、下絵のつみかさねによって選択されたものとのことである。 棟方の創作過程は即興であると一般にかんがえられ、下絵の線などにはとらわれずに、ものすごい速度で一気に図像を彫っていく姿が記憶にのこっているが、実際にはながい時間をかけた「構想」があったということが、このたび明確になった。棟方の作品は、決して即興でできあがったものではないという。 棟方の板画に対するかんがえ方は、「普通の絵とは違う」→「絵であらわせぬもの」→「絵を模様化する」ということだそうだ。ここには、「現実からエッセンスを抽出する」という過程があり、そこに、板画の抽象性とインパクトの大きさの秘密がある。この抽出のためには、テーマに対して綿密で徹底した下調べやイメージの蓄積が必要だということは容易に想像できる。 ポスター(裏)(>>>拡大)
「下絵即板画」という行き方へ ガイドブックの解説によると、棟方の前期作品には、「下絵」が大きな役割を演じていて、あらかじめ想定された「筆跡」が彫刀に優先しているとある。 しかし後期になると、下絵の線をほとんど無視して板木をほりすすむ創作過程がクローズアップされてくる。ガイドブックに引用されている棟方の言葉として次がある。「板木を一面まっ黒に塗ってしまい、丸のみによって、板木に直接下絵をつくっていきました。下絵即板画になるという行き方です。」ここに、棟方の創作過程に大きな転機があったという。 この解説がただしいとすれば、先の「釈迦十大弟子」は棟方前期の作品であるはずだ。さっそくガイドブックをみると、昭和15年、棟方37歳のときの作品であり、やはり、前期に創作されたものである。 前期に対して後期の創作方法は、下絵をみながら彫るのではなく、直接作品がでてくるといった感じであろう。 たとえば、文章をかく場合でも、十分な準備してからかく場合とそうでない場合とがある。準備をする場合は、取材をし、KJ法をつかって図解をつくり、その図解をみながら文章をかく。このとき図解は「下絵」に相当する。一方で、KJ法などの技法をつかわないでかく場合もある。それは、自分の意識の場から文章を直接出力するようなものであり、これは、技法よりも心をつかうといった感じである。 下絵や図解を準備してから作品をうみだす方法は、確実ではあるが時間がかかる。それに対して、意識の場から直接出力する方法は、即興性があり、次々に作品をうみだすことができる。しかしこれはたいへん高度な方法である。「技術」をこえた「芸術」とはそこに存在するのであろう。 板画の創作過程を単純に「下絵」→「作品」とするならば、棟方がわかいときは、下絵にかかる時間が大きかったが、晩年は、作品そのもにかけるウェートが大きくなったとみることができるだろう。そしてここに、個々の板画創作の過程と、棟方の人生の足跡とがみごとにオーバーラップしてみえてくる。つまり、個々の創作過程と一人の人間の成長過程の類似をみることができるのである。「下絵」はわかいときに相当し、「作品」は晩年にに相当する。 棟方志功のような天才画人の姿には、ながい時間をかけた綿密な作品構想の過程や、一人の人間としての成長過程を想像するのはむずかしいことであったが、今回の特別展は、天才画人にもそのような「過程」が存在するのだということを自然におしえてくれた。
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