現場からまなぶ -バングラデシュの旅-

国会議事堂
(バングラデシュ、ダカ)
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<目次>

「強み」を発見する

4Dサイクル

アジア最大のNGO -ブラック-

現場からの提案にこたえる -ハンガーフリーワールド-

有機農業の現場 -ウビニックとオイスカ-


2004年2月6日発行

 

 


ハンガーフリーワールドが入っているビル(>拡大


"AI"のワークショップがはじまる(>拡大


"Cort of Arms"の解説 (>
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期待をカードにかきだし、はりだす(>
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口頭発表をおこなう

 「強み」を発見する

 わたしたちは、"Coat of Arms"の図をつかってみずからの「強み」を確認し、そして今回のワークショップに対する期待をカードにかきこんでいく。

 「ポジティブな思考がベースです。すでにあるもの、すでにある力を出発点にすべきです。開発事業では、その地域にあるもの、そこでくらしている人々がもっているものを、まず、ほりおこしていかなければなりません。」わたしたちは講師のNGさんの話にききいる。

 「長所はかならずみつけることができるはずです。住民みずから自分たちの長所や強みを発見すると開発事業の成功率は非常に高くなります。さらに住民自身で、住民自身の組織をつくれば、責任感も生じ住民自身が成長します。そのためにも、ポジティブな態度で課題にのぞみ、強みを確認し、それを分析しながら前進していかなければなりません。」

 話はつづく。「それに対して、『何が欠けているか?何が必要か?』ということを出発点にすると、必要なものやほしいものを住民はほしがるだけで、すでにあるよいものをみおとしてしまいます。また、外部からモノを安易にあたえると、あたえたモノを住民がうばいあうというというわるい状態が生じます。依存心もつよくなり、自分たちの意志でやろうとしなくなります。」

 2004年1月6日。ここは、バングラデシュの首都ダカにある(特定非営利活動法人)ハンガーフリーワールドの事務所である。わたしたちは参加型開発手法"AI"のワークショップをおこなっている。

 "AI"とは、Appreciative Inquiryの略であり、組織を建設的前向きに機能させ、人・組織・社会がともに発展することを目指す方法である。1987年にアメリカ・オハイオ州で、David Cooperrider とSuresh Srivastvaが論文を発表してから世界各地で活用されるようになった。講師のNGさんは、"AI"を活用した開発事業をおこなうインドのNGO "MYRADA"の研修センターの代表をつとめている。

 概論がひととおりおわると、グループワークにうつり、人生で一番の成功事例をひとつづつ各人が発表していく。



ダカ市街(>拡大


体験談を発表する


昼食はバングラデシュ料理(>
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ビジョンをえがく(>拡大


4Dサイクルの解説(>
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ワークショップが終了する(>拡大


ハンガーフリーワールドの事務所(>拡大

 4Dサイクル

 翌1月7日。今日は、"AI"を具体的にすすめるためのモデルである「4Dサイクル」にしたがってワークショップがすすむ。

 「4Dサイクル」とは、"DISCOVERY"(発見)、"DREAM"(夢)、"DESIGN"(計画)、"DOING"(行動)の4つのステップからなる。

4Dサイクルの説明図(>>拡大

 第1の"DISCOVERY"(発見)では、おたがいに話をしながら、個人や組織の強みや長所を発見する。第2の"DREAM"(夢)では、自分たちの長所を基礎にして夢やビジョンをえがく。第3の"DESIGN"(計画)では、すべての夢あるいはビジョンに対する行動計画をつくる。第4の"DOING"(行動)では、行動計画を実行する。そして、あたらしい強みや長所をふたたび発見し、次のサイクルに入る。

 このサイクルでもっとも重要なことは、あくまでも自分たちの長所を基礎にすることである。何が欠けているか、何が必要かと問うて、原因を分析することをメインにする従来の手法とはことなる。自分たちの長所を発見することこそが重要であり、それが開発事業の出発点になる。

 またこのためには、地域住民に対する質問の仕方にもひと工夫がいる。あくまでも肯定的な態度が基本であり、どんなことでもこたえられるような質問の仕方をしなければならない。主題をにおわせて住民の経験をひきだすようにし、可能性がひろがり、価値・希望・ひらめきをもたらすような問いかけをする。一般的に、「何がありますか?」ときくとポジティブなこたえがかえってくる。それに対して従来の「質問紙法」は、ある方向に住民を誘導してしまうのでのぞましくない。

 実習にうつり、参加者が所属する各NGOにおいて、もっとも大きな困難をのりこえたときの体験談を発表する。日本のNGO活動はまだはじまったばかりといってもよく、どこの組織もみな苦労していることがよくわかる。次に、「将来の絵」(ビジョン)をえがくグループ作業などを順次おこなっていく。わたしたちは、2010年に飢餓・貧困をなくす「絵」をえがく。「絵」をえがくとともに、スピーチ・ニュースリリース・インタビューなどの形式で口頭発表もしていく。夕方、"AI"のワークショップは盛況のうちにおわる。



国会議事堂(>拡大


ブラックの本部ビル(>拡大


バングラデシュ独立博物館の入口(>拡大

 アジア最大のNGO -ブラック-

 1月8日、朝。外はとてもよくはれている。冬だというのにここはとてもあたたかい。わたしたちはダカ市街へとでていく。

 わたしたちとは、「ジャナード」(JANARD)から派遣されてきたNGOスタッフ11名(日本人 10名とバングラデシュ人1名)とハンガーフリーワールドのダカ事務所のスタッフ3名(バングラデシュ人)の合計14人である。「ジャナード」とは、農業・農村開発NGO協議会の略であり、農村社会の健全なる発展、農業・農村開発に関する事業を推進することを目的として、2000年12月に発足したNGOネットワークである。現場実践型のNGO同士が連携し、プロジェクトの実践やそのために必要な能力開発プログラムなどをおこなっている。

 わたしたちは、国会議事堂とヤマガタ・ダッカ・フレンドシップ病院を見学したのち、アジア最大のNGO「ブラック」(BRAC)の本部ビルへといく。それは22階もあるとても大きなビルであり、中にはホテルやレストランもある。

 ブラックは、バングラデシュ独立直後の1972年に設立され、バングラデシュ農村向上委員会(Bangladesh Rural Advancement Committee)の略であったが、現在はブラック(BRAC)をそのままよび名としてつかっているという。

 このNGOは、バングラデシュのすべての県に事務所をかまえて、農村や都市の貧困層を対象に実に多様な活動を展開している。年間予算は約68億タカ(約150億円、2001年度)、対象とする住民は約6800万人、雇用されているフルタイムのスタッフは現在27608人と、規模としてはおそらくアジア最大で、政府の一省庁あるいはそれ以上の規模をもつ。設立当初は外国援助にたよる財政構造であったが、現在では78%(2001年度)を自己財源でまかなうまでになり、その経営のセンスはきわだっている。1998年からは、本部事務所をたてなおし、ブラック銀行・インターネットプロバイダー・ブラック大学・情報技術協会・不動産管理会社など関連企業を次々と設立し企業化をすすめている。

 外国からの援助資金を吸収し、広範囲に効果的に貧困層に はたらきかける機関がもとめられていたことが、ブラックをうみだす背景にあった。ブラックが頭角をあらわすと、欧米のドナーはこぞって支援する一方で、現地政府や市民の間からは「NGOが営利活動をしている」といった反応もおこった。

 そのブラックをあとにして、わたしたちは次にバングラデシュ独立博物館へいく。独立戦争当時の生々しい映像・武器・人骨などが展示されており、バングラデシュが独立していく歴史をみてとることができる。

 1947年、イスラム教徒が人口の3分の2強をしめるここ東ベンガルは、インドとパキスタンの分離独立により東パキスタンを形成した。パキスタン国家統一の唯一のつながりはイスラム教であった。1948年、パキスタン中央政府はパキスタンの言語であるウルドゥー語を国語にすると言明する。ベンガル語をつかう東ベンガル(東パキスタン)の住民はこれに反対し、ベンガル語国語化運動を展開する。その後、東西パキスタンの社会的経済的格差は拡大し、東パキスタンは西の植民地的存在といわれるようになり、東パキスタンの民主化運動が高揚していく。1971年3月、ゲリラ戦による独立戦争がはじり、そして1971年12月、インドが介入、パキスタン軍は降伏し、同年同月16日、バングラデシュ人民共和国が独立国として発足した。



ハンガーフリーワールドのトレーニング開発センター(>拡大


あたらしくできたトイレの前で説明をうける(>
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村人たちの行進(>
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貢献の大きかった人をセレモニーで表彰する(>拡大


トイレにつかうコンクリート管(>拡大


養蜂をおこなっている農家(>拡大


小学校の朝礼(>拡大


ヒ素を除去する装置とタンク(>
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養鶏場(>
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女性会議(>拡大


養魚場(>
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村の子供たち(>拡大


母乳育児の研修(>拡大


夕暮れ(>拡大

 現場からの提案にこたえる -ハンガーフリーワールド-

 1月9日。わたしたちは、カリガンジの(特定非営利活動法人)ハンガーフリーワールドのトレーニング開発センターにつく。4階建てのビルが2棟ならんでいる。新棟は今年の夏から建設がすすめられているという。

 ハンガーフリーワールドは、飢餓・貧困のない世界をつくるために活動する国際協力NGOであり、日本に本部をもち、バングラデシュのほかにハイチとウガンダに支部があるほか、12カ国で活動をつづけている。バングラデシュでは、住民の組織化、養魚・養蜂・縫製訓練などの収入創作事業、初等教育、母乳育児指導、植林、安全な水の確保などの事業をおこなっている。

 センターのすぐちかくのモストファプル村では、村の各所にトイレの設置が終了したことをいわうセレモニーが開催されるという。いってみると、コンクリート管を地下にうめてつくったというトイレがあちらこちらに設置されている。ハンガーフリーワールドは衛生教育もすすめており、トイレのそばには水瓶があり、灰(石けんのかわり)で手をあらう習慣も村人たちは身につけた。セレモニーが終了すると村人たちの行進がはじまる。「トイレをつかおう!」と子供たちが何回もさけびつづける。

 その後、養蜂の現場やバイオガスを使用した家などもみる。付近には、ジャックフルーツ・ライチ・グアバなどの木がはえている。

 この地域は、ハンガーフリーワールド・バングラデシュ事務所事務局長のアタウル=ラーマン=ミトンさん出身地であるそうだ。ミトンさんはいう。「まず、知り合いがたくさんいるこの村で事業を成功させてモデルをつくり、しだいにほかの村にも協力活動を展開していくつもりです。いきなり知らない村で活動をはじめるのはむずかしいことですから。それぞれの事業は、地域提案型のボトムアップ方式でおこなっています。このあたりは、農業従事者が85%、人々の生活水準は以前は標準以下でしたが、今では標準よりすこし高いレベルまであがってきました。ハンガーフリーワールドがはいってから借金もなくなりました。しかし、貧富の差は依然として大きいです。」

 バングラデシュは1人当たり国内総生産(GDP)は362ドル(2001/2002年)にすぎず、世界の最貧国のひとつにかぞえられている。そのため、バングラデシュは「援助の実験場」といわれるぐらい、外国政府・NGOをとわず、海外から様々な援助が入り活発な活動がつづいている。

 今日はここのトレーニング開発センターにとまることにする。

バングラデシュの地図(>>>拡大

 

 1月10日、朝8時。「きおつけ!」先生のかけ声がトレーニングセンター内にひびく。子供たちが4列に整列する。国旗掲揚、国歌斉唱へとつづいていく。小学校の朝礼である。ハンガーフリーワールドは、学校教育(初等教育)もおこなっており、幼稚園から5年生までの約80人の生徒がいる。以前は1〜2年生までだったが、今では5年生までおしえているという。バングラデシュでは、初等教育までの学校教育にはNGOが参入できるようになっている。中等教育は未認可である。バングラデシュの成人識字率は42%ぐらいではないかといわれているので、教育の普及は非常に重要である。

 朝礼がおわってから、わたしたちはちかくでほられた井戸をみにいく。井戸の技術者であるミルトンさんが説明してくれる。「このあたりには15世帯、約90人に1個の割合で井戸があります。バングラデシュの飲料水の90%は地下水にたよっていますが、最近、ヒ素による飲料水の汚染が大きな問題になっているんです。もともと地下にあるヒ素が何らかの原因でとけだしたとかんがえられています。そこでここでは、ヒ素と鉄とを化合させて沈殿させ、ヒ素を除去するしくみをとりつけています。汚染された水が入っているタンクには赤色、安全なタンクには緑色の表示がしてあります。しかし、このようなヒ素除去装置は一部の地域で設置されているにすぎません。」ミルトンさんは、ハンガーフリーワールドの正式なスタッフになり、この仕事をつづけていくことを希望している。

 その後、すこしはなれたムンディア村までいき、養鶏・養殖・養蜂・小売店経営などハンガーフリーワールドが協力する事業、女性の生活向上のための女性会議などをみる。そして、トレーニング開発センターにもどり、センター内でおこなわれている縫製・コンピューター・母乳育児指導などの研修の様子をみる。ハンガーフリーワールドは実にたくさんの事業をおこなっており、それらは、近代文明をおしつけるのではなく、現地にあるものをいかしていく、NGOならではの現場に根差した活動になっている。



種子を管理する種子バンク(>拡大


織物工場(>拡大


ウビニックの農場(>拡大


収穫したジャガイモ (>拡大


村人がパパイヤをきってくれた(>拡大


シュヒド・ミナール(>拡大


乾季には池が点在するが、雨季にはこの一帯も水没する(>拡大


オイスカの研修センター(>
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オイスカの農場(>拡大


あたりにはパパイヤが沢山みのっている(>
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 有機農業の現場 -ウビニックとオイスカ-

 1月11日。今日は、ダカから車で3時間、「ウビニック」(UBING)の研修センターと農場へいく。ウビニックとはバングラデシュの民間の調査研究団体であり、「ナヤクリシー」という有機農業を普及する運動を1992年からすすめている。ここのセンターには64人のスタッフが、ダカには110人のスタッフがいる。

 センターでは、農民に対する徹底的なトレーニングを実施、農民のモチベーション(動機付け)をおこなっている。このやり方は、モデル農場から農業普及員を村に派遣するという従来の普及方法とはことなるものである。わたしたちは、種籾、シードネットワーク、米つきなどの現場を見学していく。特に「種子バンク」はみごとである。種子の、更新と新種発見をたえずおこなっており、コミュニティレベルで種子をコントロールしている。また多品種を用意することで、気候不順などによる不作に対するそなえもできている。

 そのご農場へいき、小さい面積でも耕作が可能な有機農業の現場をみる。ジャガイモ・サトイモ・ダイコン・キャベツ・ナス・カボチャ・サトウキビ・豆類・コムギなどが栽培されている。「化学農業から有機農業へきりかえたら、収穫は100倍に増えました。」とある農民はいった。近代化学農業の導入によっていためつけられたバングラデシュの大地が、自然をふかく観察し、地域の特性を利用する「有機農業」によって再生されていく様子をみることができる。

 ウビニックの維持・運営費は、織物工場・出版・インストラクションなどから収入をえてまかなっている。NGO「登録」をすると様々な制約をうけ活動がしにくくなるので、NGO登録はしていないという。ウビニック・スタッフの言葉がとても印象に残った。「わたしたちの仕事はプロジェクトではなく、運動です。」

 

 1月12日。バングラデシュの建国を記念するシュヒド・ミナールへいく。1952年2月21日、ベンガル語を国語にしようという運動が展開される中、警官によって虐殺された4人の学生を追悼するためにこれはたてられた。2月21日は殉職者を記念する日になっていて、バングラデシュのシンボルである真紅の太陽が中央の記念塔にかかげられるという。

 次に、バングラデシュ国立博物館をみる。ここはかなり大きな博物館であり、自然・文化・民族・歴史などがわかりやすくしめされている。

 バングラデシュは、インド亜大陸の東端に位置する「水と緑の国」である。ガンガー(ガンジス)川・ブラフマプトラ川・メグナ川といった大河川の形成するデルタ地帯にひろがる国土は、雨季にはその大部分が水没する。しかし、洪水がはこんでくる肥沃な土壌はゆたかな農産物を生産しており、ムガル帝国時代には「インドの穀倉」と称せられた緑ゆたかな国柄である。そこに、北海道の2倍ほどの国土(14万3998?)に、約1億3千万人もの人々がくらしている。住民はベンガル人が98%をしめるという。

 宗教は、仏教からヒンズー教、そしてイスラム教へとうつりかわってきた。現在バングラデシュでは、イスラム教徒が88%、ヒンドゥー教徒は11%、仏教徒はごくわずかをしめるにすぎないそうだ。

 その後、ダカ近郊のサバール郡にある、(財団法人)オイスカ(OISCA)(The Organization for Industrial, Spiritual and Cultural Advancement-International)の研修センターへいく。オイスカとは、海外技術協力・環境保全・人材育成・国際理解にとりくむ国際NGOであり、1981年に設立された。有機農業による稲作・野菜・果樹栽培、養鶏、養魚の技術指導のほか、家族計画や保健衛生に関する教育をおこなっている。ここには、農業研修センター・農村女性研修センター・5ヘクタールの農場がある。

 所長の宮嶋さんが説明してくれる。「このあたりは20年前は竹藪や田んぼだけだったのですが、いまは工業地帯になりました。オイスカでは、従来の近代農法から有機農法に徐々にきりかえています。害虫駆除には、ニンニク・トウガラシ・ニンムなどをスプレーで散布したり、ネットで補虫したりしています。生産量は一次ダウンしましが今はもとにもどりました。バングラデシュ人に対する研修は、6ヶ月間の合宿制で無料でおこなっています。」所長のほかに、バングラデシュ人のスタッフが何人もいて、彼らはみな日本で研修をうけた経験があるため日本語がとても達者である。

 農場へいくと、今までみた農場とはことなり非常に整然としている。管理がよくいきとどいており、非常に合理的な訓練がおこなわれていることが想像できる。現場をみると、組織の規模の大きさや技術協力の程度などがそれぞれにはっきりあらわれていてとてもおもしろい。

 

 さて、今回の旅行では、参加型開発手法"AI"のワークショップにひきつづいて、ハンガーフリーワールド、ウビニック、オイスカなどの活動現場をみることができた。これらのNGOの現場には、地域の自然をふかく観察し、地域の特性を活用するという基本的ないき方がつらぬかれていた。

 バングラデシュの自然とほかの国の自然とはあきらかにちがう。多くの人は気がついていないかもしれないが、その国の人のかんがえ方は、しらずしらずのうちにその国の自然の枠組みにとらわれている。国際協力の現場では、そのような自分がそだった国の固定観念にとらわれずに、現場からまなび、現場に根差した活動、トップダウンではないボトムアップ型の仕事ををすすめることが大切である。つまり、あくまでも現場から発想するようにしていかなければならない。

 そのためには、みずから現場をあるいて現場をしっかりみること、つまりフィールドワークが第一に重要になってくる。そして、現場の情報をしっかりと把握して、ただしい価値判断をし、有意義な事業につなげていく。このようにフィールドワークは、評価や行動のためのもっとも基礎的な行為として必要不可欠なものである。フィールドワークの良し悪しが、その後の仕事の展開を決定するといってもよい。

 そして、これからの世界は、まさにこのような「現場からの発想」を必要としており、世界のこのニーズとNGOの活動とはみごとに共鳴し、あたらしい潮流がつくりだされていくとかんがえられる。バングラデシュのNGO活動に今後とも注目していきたい。

 


 参考文献:大橋正明・村山真弓著『バングラデシュを知るための60章』明石書店、2003年。

 

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(C) 2004 田野倉達弘